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あなたの歌がききたくて。

小説とVOCALOIDと知らない人のことばが好き。

かもめは胸の中で羽ばたかない

 高校生の頃、演劇部に所属していた。近所だからと何となく決めた高校に合格した春休み。久しぶりに読んだ小説が「演劇」を扱ったものだったという、安易な理由で憧れて入部した。
 春の柔らかい日差しが差し込む教室。机を後ろに寄せて作ったスペースで、準備運動やエチュードをやっている先輩たちは楽しげで、格好良くて憧れた。
 そのなかで一番、動作が大きくて目立っていた人。
 校則違反のブレスをつけて、下手な冗談を言っては自分で笑っていた先輩に、恋をした。

 よくある話なのだけれど。先輩には好きな子がいた。
 自分の同期の一年生。色白で骨細で、最初は近づきがたくも思えるのに、とても気遣いがうまい。するっと人の懐に入って、忘れられなくなるような女の子。
 つたない話し方しかできない、人見知りで引っ込み思案の自分には、それがとても眩しかった。
 
 入部して分かったことなのだけれど、演劇に一番必要な能力は、戯曲を理解することではない。自分の身体を意図するままに動かせること、他人とセッションができるコミュニケーション能力。それがないと始まらない。
 春が過ぎ、若葉の頃になって。置いて行かれるのではと焦り始めたのは何月頃だっただろうか。

 休日も部活関係で潰れたり、自分でも演劇を観に行ったりもする傍ら、戯曲にはまって、「せりふの時代」という雑誌なども買うようになった。
 清水邦夫あたりから始まって、成井豊鴻上尚史も何冊か読んだところで、そもそも演劇にはまったきっかけの戯曲に出会った。
 チェーホフの「かもめ」。実際に読むのはそれが初めてだった。

* * *

 1895年作。ロシアの片田舎を舞台に、地元に住む人々と、避暑に来た女優とその息子、流行作家などの顔ぶれが描く人間模様をドライに写した作品。
  

そうらね、おっ母さんは僕が嫌いだ。あたり前さ! あの人は生きたい、恋がしたい、派手な着物が着たい。
ところがこの僕が、もう二十五にもなるもんだから、おっ母さんは厭(いや)でも、自分の年を思い出さざるを得ない。

チェーホフ神西清)『かもめ』新潮文庫、1973年、14頁)

完全に一オクターブ低いやつでね、「ブラボー、シルヴァ!」 それが君、専門の歌手じゃなくて、たかが教会の歌うたいなんですからね。

(同上、31頁)

 群像劇のようだけれど、主人公は女優の息子であるトレープレフ。派手好きの母を、複雑な思いを抱きながらも愛している。母であるアルカージナのほうも、息子を愛してはいるのだけれど、彼が書いた新進気鋭の戯曲を悪気なくひとまえで貶してみせたりと、想いが通じあっているとはいいがたい。
 
 後者は、アルカージナの兄の家の支配人であるシャムラーエフの台詞。舞台が好きで、知り合いでもない役者や歌手を馴れ馴れしく語り、自分の興味のある話しか話さない。

 チェーホフの偉大さはいまさら語るまでもないけれど。この戯曲の傑出しているところは、登場人物が一人残らず、愚かで自分勝手に描かれている所だと思う。それでいて、人間くさくて愛おしい。
 四幕の喜劇、と銘打っているけれど、コメディというにはあまりにも救いがなくて、写実的。それでも、滑稽で笑ってしまう。
 そして、チェーホフのなかでも、この戯曲に目立つ特徴。
 それは、登場人物の恋愛が多い、ということである。

 トレープレフは、その土地で暮らす女優志望の娘、ニーナに恋をしている。が、ニーナは都会にあこがれていて、流行作家であるトリゴーリンと都会に行くことを決意する。

* * *

 演劇部の活動にも慣れた頃、夏休みに学校で合宿があった。学校から何駅か離れたところにある公民館で、朝から晩まで練習。騒ぎながらお風呂に入って、夜中までお菓子を食べて喋っていた。
 三々五々、寝るなり語らうなりで散っていく中。
 人の寝静まった夜更け、食堂でゲームをしている先輩に、見ていていいですか、と聞いた。
 いいよ、と言われたので、すこし離れた場所に座って、画面を眺めていた。

 いくら言葉を知っても、そのときの自分には何を唇にのせることもできなくて。
 ただ黙って、譜面が流れていくのを見ていた。

 秋になって、別の合宿を校外でやることになったとき。一冊の冊子が全員に配られた。正確には台本ではない。色々な台本の場面を抜いて、滑舌や表現力の練習をする用だったと思う。
 その中に、「かもめ」の一節があった。

 トリゴーリンについて都会へ旅だったニーナは、女優業がうまくいかず、地方まわりで苦しい生活をしている。生まれた土地へ帰ってきたニーナに、トレープレフは「自分と生きて欲しい」と懇願する。そのときの台詞だ。

すっかり、へとへとだわ! 一息つきたいわ、一息!(首をあげて)
わたしは--かもめ。……いいえ、そうじゃない。わたしは--女優。そ、そうよ!

(同上、97頁)

 シェイクスピアの次くらいに、有名な台詞。前後の場面も抜粋されていた。
 ドラマチックで、感傷的。それでいて、真剣すぎてどこか滑稽だ、と思った。
 まるで、そのときの自分のようだった。
 
 文章を覚えて、喋った。舞台ではないので披露する機会はほとんど無かったけれど、それでも何かが昇華される気がした。
 自分の立場からいえば、トレープレフに恋をしていても相手にされないマーシャの役柄であるはずなのに。それは都合よく忘れていたのだろうか。

* * *
 
 秋。学校祭の準備をしているうちに、先輩と彼女は仲良くなったようだった。まるで少女漫画のようだけれど、本当の話だった。
 帰り道、たまたま一緒になったところで、好きな人がいるから付き合えない、と言いにくそうに言われた。
 
 告白してもいないのに振られる、という体験は、なかなかに恥ずかしく、しんどいもので。
 その後、かなり長くひきずることになる。
 演劇自体はそれでも好きで、翌年の夏まで続けていた。後輩が入ってきて、自分の適性のなさを思ってやめたのだけれど、今でもあのころのことは大切な思い出だ。

 それでも、「かもめ」はずっと長いこと、開くことがなく。
 捨てられもせず、本棚のなかで息を殺していた。
 新潮文庫版。昭和48年、10刷。手に取ると、頼りなく軽い。少し黄ばんだ白い色をしている。あの劇のなかで、撃ち落とされて剥製になった、白いかもめのように。

 いま、読み返してみて思う。
 こんなに、小さな世界の話だっただろうか。

 もし、トレープレフがニーナを追って、都会にでてきていたら。
 マーシャが結婚せず、トレープレフにちがうアプローチをしていたら。
 流れは変わっていたかもしれないのに。

 狭い場所で、きらきらと輝く、あのころの世界はもうない。
 その小ささを知ったいま、もう剥製のかもめが胸の中で飛ぶことはないけれど。

 切ないながらも、鮮烈だったあの頃を、この一冊で思い出した。

 
特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
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