あなたの歌がききたくて。

小説とVOCALOIDと知らない人のことばが好き。

小学校とラノベ。「運命の一冊」に出会う確率を上げる方法

togetter.com


数日前にネットに出回りました、小学校の朝の読書でラノベを読むのを禁止されました問題について。
乗り遅れたかもしれないけど一応思ったことを書きます。


f:id:WALKING43:20161023225208j:plain
https://www.pakutaso.com/

* * *

確かに、学校の教室って場がそもそもね、ラノベ向きではないです。
制服の女子がかいてあってなんならぱんつが見えるか微妙なところ、みたいな表紙が多いしね。
背後に人がいる状態ではよみにくい挿絵が多い。もうちょっとサービス抑えめでも良いです個人的には。
ただそれは本人の気の持ちようであって、規制していいものだとは思わないですね。
保護者のほうからクレームがくるとしたら、するほうがまちがってるとおもう。

だって、アホらしいと思いません?
千夜一夜物語」も「カーマスートラ」も普通に本屋で買えるのに。
バタイユもサドも禁止しますか?
乱歩は教育に悪い、とか言っちゃう感じですか。
近親相姦の話で、直木賞とった小説ありましたよね。性描写もあったと思うけど。

まあ、上記に挙げてるようなものを中学生とかが燦々と陽の差す朝の教室で読んでたらね、
「もう本なんて読まなくていいから、校庭でサッカーでもしよう」って言いたくなるかもしれないですけど。

それでも彼/彼女はなんかしら興味があって、その本を手に取ったわけですから。
その出会いと、文章と向き合って過ごす時間っていうのは、余人には計り知れない世界なので。
大事にしてあげてほしい。

* * *

なんかね、世の中には大きな誤解があるようなんですけど。
純文学=お堅いもの、面白くないもの、複雑で意味不明でなんか高尚なことが書いてあるもの。
我慢して読むと人生に大事なことがわかったようなわからないような崇高な気分になれる。
ライトなノベル=明るくて面白くてちょっとえろくって軽く読めるもの。
漫画の延長線上。だからイラストは絶対必要。(っていうひとをAmazonでたまにみかける)

なんといいますか。
文芸をシロとクロで二分化して考えようっていうのが理解できないんですよ。
「良い人間」と「悪い人間」がいないのと同じように、「良い小説」とか「悪い小説」ってものはない。
読む人間が何を読み取るかであって、名のしれた明治の文豪だったら読んで必ず身になるとは限らない。

ただ、後世に残されるほどの文学ってなにが違うかっていうと、「密度」じゃないかなと思います。
重さのある題材で、構成も複雑で精緻で、もう手にとってずっしり重い。
理解するための回路がものすごく曲がりくねっていて長い。
文学としての流れの中での位置とか小説としての技巧とか実験とか、社会や時代を反映した固有のテーマとか、作者が意図することもそうだし、評論するひとや後世の人間が読み取るべきメタな情報も、きちんとその小説を「読む」ために必要なことに含まれると思うんですけど。

自分の話ですけど、まあ結構数をよんではいるんですが、読書力としては中の中くらいだと思うんですね。
何でかっていうと、その「文学を理解するための回路の辿り方」がまだ分からない。
地頭の出来か、知識の有無か、まあ両方なんでしょうけど。
読書レビューとか見ても、同じ本に対しての理解度ってひとによって結構違うものだなと思います。
筋だけ追うなら自分でも出来るけど。そういうことではない。

* * *

話が逸れましたが。
まあだから、二元化してレッテル貼って、ageたりsageたりすることに意味は無いんじゃないのって思うんですよ。
とにかく、自分のであったただひとつの小説に耽溺するという体験をしてもらったほうがいい。

それで、10代の子が運命の小説に出会うために、大人が出来ることって言えばですね。
本を探すお手伝い、だと思うんですね。

人間って千差万別なので。
そのひとが、小説っておもしろい!って思えるような小説をお勧めしたかったら、そのひとを知るしかないと思う。
普段、どんな映画を見ますか? 好きな音楽は? 趣味は? 服装は? とかね。
相手の年齢とか、読書歴とかも大事かな。読むための回路をどこまで単純に/複雑に設定するかっていう問題はけっこう大きいと思う。小学生で「吾輩は猫である」とか読む子もいるわけだから。

それで、相手の心を豊かにしよう!とかね、そんな基準で選ばなくていいんですってば。
読書好きの大人はみんな、心が豊かで素敵な人間を目指して、そうなれてますか? のめり込んで、気づいたらここにいただけじゃないですか?
その過程で、身についたものがあったとしたらそれは、たまたま運命の出会いをしたからだと思います。

好みの話ですが。もちろん、言いたくなかったら言わなくていいです。
ただ、相手のことを何も知ろうとせずに、自分の好きなものを押し付けたとき、うまいことマッチングする確率って天文学的に減ってしまうと思うんですよ。
その一冊はご縁として楽しんで読めても、そのあとに繋がらなそうなきがする。もったいないです。
夏休みの課題図書とかね、完全にお仕着せですから。選んだ大人の熱い意図は分かるけど好みじゃない小説のオンパレードでしたねえ、昔。

どっかでそういう、マッチングする場所とか試みがあってもいいと思うんですけどねー。
この元ネタのツイートの方は司書さんですが、本当に現場で色々考えられている方をだしに、勝手なことを言うのもあれだと思うんですけど。
まあ、どこかで一般人がお役に立てることがあったら呼んでください。

* * *

とりあえず、若人のかたにおかれましては、「【こういう感じの好みにあう】本を教えろやダボ」って本好きの大人に要求すると面白いものにであえる確率が格段にあがるだろうことは覚えておいて損はないと思います。っていうか聞いて。w

それで、本をよんで面白いなと思ったらですね、同じ作家の別の本を読んでみてください。
次は、同じジャンルのちがう作者の本を。
頭のなかに、ジャンルの地図ができてきたら、ぜひ別のジャンルにもトライしてみてほしい。

本を読んでいたら格好良いとか、一足飛びに頭が良くなるとか、そういうことはないです。万巻とはいわずとも、千巻くらいの文学やエンタメを読んできた私が保証します。

ただ。
人間の生老病死、愛や笑いや涙、社会や思想。
そういうものを残すための手段が、文字であること。
何百年も前のひとの言葉が、いまに残りつづけて、だれかを動かしていること。
それって凄いことだと思うんですよね。素敵なことだと思いませんか。

なんて。何年かして、思ってもらえたら嬉しいです。


本日は以上です。


関係ないけど
『中学生のための読解力を伸ばす魔法の本棚』中島克治(著)の掲載書籍リスト - bax | ブクログのパブー
これ普通に面白そうですね…。