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あなたの歌がききたくて。

小説とVOCALOIDと知らない人のことばが好き。

【1日目】 いち聴き専が「ボカロ」について概要を喋ってみる 【祭り】

walking43.hatenablog.com

…ということで。すでに1日めから遅刻ですが。
書きます。

VOCALOIDとは。「ボカロ」とは。

ヤマハ株式会社によって開発された、音声合成技術。また、その技術を使った製品のこと。PCにインストールして、エディタを使ってメロディと歌詞を入力し、歌わせるソフト。
サンプリング元になる人の声は、声優やシンガーソングライターなど様々。最近では小林幸子セカオワのFukaseなど、アーティストとのコラボも目立つ。

2007年のVOCALOID製品・「初音ミク」がヒットし、ニコニコ動画YouTubeを中心に創作ブームが広がったことで、そのDTMを中心としたブーム自体を、「ボカロ」と呼ぶようになり、そのブームは今も続いている。

音声合成ソフトには、VOCALOIDの他にもUTAUやCeVIOなど、色々な種類のものが出てきている。また、同じソフトであっても、技術の進化につれ、バージョンアップしていく。VOCALOIDエンジンは無印からはじまって、現在はV4が最新。この分だと、「ボカロ」ブームがいつか終わるとしても、V10くらいまでは行きそう。
ちょっと見ないうちに新しい様相になっていくので、見ていて飽きない。最近は「喋り」に特化したソフトも隆盛。

当初は仮歌ソフトとしての利用が想定されていたが、例え創作ブームと紐付いて使われるのではなくとも、ソフトのボーカルには様々な魅力や可能性があると思う。そのへんは後日書きます。

■ざっくりと、いままでの経緯。

2007年、ボーカルソフト「初音ミク」が発売し、当時創生期だったニコニコに、DTMで作った曲をソフトに歌わせてUPすることが流行する。
その頃の、色々なものを巻き込んだ熱気と楽しさは、当時のネットの記事などを見ていると如実に伝わってくる。

TVの情報番組などでも取り上げられたりと、大きく広がりを見せていくものの、世間の目(…?)はまだ厳しかった。
可愛らしいキャラクターや、目新しい機械声に釣られただけではないか。新しくはあるけれど、ネットの流行の域を出ないだろう。そんな意見が大勢を占めていたのではと思う。

この頃のことで特筆すべきは、発売元であるクリプトンの姿勢。
「誰でも創作できる」というブームに乗って、何も見返りのないまま搾取されようとしているユーザ(クリエイター)の立場に立ち、できる限り報われるように、色々と戦っていた様子が伺える。
大きな後ろ盾もないまま、ボカロに関わる「人」や「場」を守り、「初音ミク」を始めとするブランドを守って作り上げてきた。その姿勢と熱意があるから、今まで「ボカロ」は続いてきたのだと思う。

私事ですが、私が「ボカロ」を知ったのが2009年の半ば。
その頃は、「歌ってみた」「踊ってみた」などでも色々な人が続々と人気を伸ばしていた頃で、当時は右も左も分からないまま、そのノリに巻き込まれていった感がある。
ボカロPで言うとryoさん、流星P、wowakaさん、ハチさん、ジミーサムP、辺りを、最初はよく聴いていた。
…と書いて何だけど、ちょっと言い切れない。後ほど、「好きなボカロP100人」とかやろうかと思っています。
ある動画が流行ると、それに合わせて「祭り」になったりということも、当時は半年に1回くらいの頻度であったように思う(現在もある気がするけど、体感的には昔ほど大規模ではないかと)。
毎日ランキングをチェックしていたし、その他にランキング動画なども見ていた。勢いに流されっぱなしの日々だった気がする。

ある意味、狂騒感のあった当時の「ボカロ」の勢いが最高調に達したのが、2012年の始めなのではないかと思う。
「Tell Your World」。
「あなたの世界を教えて」という、端的なフレーズ。
GoogleのCMのために作られたこの曲が、ネットの、それを使っている「人」の持つ無限の可能性を示唆してくれた。
言ってみれば、「ボカロ」というジャンルのテーマソングみたいなもので、2016年にあっても変わらず、特別な位置にありつづける曲だと思う。

が、それとは裏腹に。
ネット上で楽しまれていたコンテンツが、商業へ進出するにあたり、色々なことがあった。
嫌儲的な気風を絡めた、ネット民の反発のような声も割りと大きくあったし、自分も気持ち的に、受け止めかねるところがあって。単純に、寂しかったのかもしれない。
活動の場が、ネットでも、商業でも。ボーカルがソフトでも、人の声でも。
自分の好きになった人が活動していることに、何も変わりはないのに。
何を迷っていたんだろう。と、今となっては思う。

その後、何が起きたかというと、出勤時間が迫ってるので手短に書きますけど、中高生の層が爆発的に厚くなった。
厨ニ心をくすぐるような格好良いロックや、センチメンタリズムを誘うバラードなどがその層にヒットし、ランキング上位を席巻するようになった。
「ボカロ小説」を始めとする、メディアミックスの流行が、それに拍車をかけたのもあるかもしれない。(別に嫌いじゃないけど)
コメントの精神年齢がみるみるうちに下がっていくのを眺めながら、「そろそろ潮時かな」と思っていたのを覚えている。

まあ、洗えなかったから今、こうなってる訳ですが。

ここからは、個人的な流れの話。
いつからか、ランキングをチェックしなくなった。「再生数の多い曲」から順に聴くのをやめた。
その代わり、個人のブログで薦められているものや、紹介動画などを見るようになった。自分の好きなPの曲調、そのバックグラウンドというかルーツを意識するようになり、遅ればせながら、ジャンルを意識して聴くようになった。

再生数や人気、自分の嗜好とは違うところで、「音楽」という大局に立って見ると。
全く違う世界が見えることに気づいた。
お恥ずかしい話ですが。シューゲイザードラムンベースも、歌謡ロックもファンクも知らなかった。特に知る必要も感じていなかったけど。
楽しいな、と思うし、怖いな、とも思う。知れば知るほど。

今のボカロも、昔のボカロも、同じように楽しい。
曲を上げる人がいて、歌う人や踊る人がいて、それを楽しむ人がいる。
何をやってもいい。どれほど遊んでも怒られないし、常に新しいことをやろうとするのが、そもそも公式の姿勢だと思う。
いつでも、「今」のボカロがいちばん楽しい。

そのうえで、何か言いたいこと、やりたいことがあるとしたら。
「ボカロ」は、擁している人口の割に、その「楽しさ」のプロモーションをしきれていない部分があるように思える。
固定された「ガワ」のイメージはだんだん厚くなり、その内部、活発に活動して変わり続けている本当の「場」については、変わらずに注目されていないような。

そのギャップを埋めるのは、それを好きな様々な人の、「言葉」ではないかと思う。

取り敢えず、本日は以上です。