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あなたの歌がききたくて。

小説とVOCALOIDと知らない人のことばが好き。

「小説や音楽は衰退したんじゃない。語る言葉が足りないだけだ」 …とか言ってみる。

こんばんは。

先日行った、MIKU EXPOの話を書こうと思っていたのですが、気になった話題があったので書いたら長くなりました。

★「最近の日本映画は面白くない」

www.sankei.com

この記事が話題を呼び、ホッテントリにも「旬の話題」として出ています。
ライトなもの、確実に集客できるものしか売らない。売れない。そういう風潮の話なのかなあ、と思っています。

この記事は、「日本映画」についてですが。他のジャンルにも、多かれ少なかれそういう傾向があるように思えたので。
以下、自分の(多少は)得意分野である「小説」「CGM」辺りの話に移ります。スミマセン。

★「ハードルを下げないと、読まれない」?

数年前の話。

小説を買いました。講談社のハードカバー。ジャンルは書いてない。訳あって特定は避けます。
帯にはポップな色文字で、「果たして○○は△△なのか?」みたいな感じの惹句が書いてある。
流し読みしたところ、かなりかっちりした、堅めの小説のようで。そのギャップに魅かれて購入しました。

読んで驚いたことに。
その本は、どうみてもミステリじゃなかったです。
まあ、五大文芸誌に載ってたからって純文学だと決めつけるのもあれですが、しかしこれがミステリ小説なら、マルケスもオースターもそれに入ると思う。

ただですね。帯はもう完全に、ミステリを予想させるんですよ。表も裏も。考え過ぎじゃないのって思われるかもしれないけど、どうみても純文のそれではなかった。
これはどういうことかというと。
「ハードルを下げた」んだと思います。

一人でも多くの人に読んで欲しい。そういう、編集者と、もしかしたら装丁の方の、想いがあっての売り方なんだと思います。
そういえば確かに、表紙は何か曖昧な感じでした。ジャンルの見分けがつかないような。カバーを外すと、凝った仕掛けがしてあって。愛情が感じられるんですよ。

日本の小説、ここまで来たか…と思ったことを、鮮明に覚えています。

(ただの思い過ごしだったら…すみません。)

* * *

本屋にはいつのまにか。イラストを表紙にした小説が、多く並ぶようになりました。
疑問なんですが、「イラスト」を好むひとというのは、アニメ・マンガに造詣の深い人だけではないのでしょうか。老若男女の好みが、実写や絵画でなくイラストに傾倒していっているとは思えないのですが。個人的には好きですけれども。

その方針により、売上が伸びているかは自分にわかりようもありませんが、あれも、「ハードルを下げる」ためのひとつの手段なのかなあ、と思ったりします。まあ、中身が面白ければどうでもいいんですけど。

★小説や音楽が「散逸していく」理由

映画でも、小説でも音楽でも。受け手のリテラシー(やモチベーション?)が、全体的に低下していることは否めない。
何が原因かというのは、そうそう分かることではないですが。
時代が進むにつれ、「受け方に連続性がなくなってきた」というのが、一因として挙げられたりするのではないかと思います。

* * *

◆ネットによる、コンテンツへのアクセスの簡便さ
  
古今の曲が、Youtubeで無料で聴ける。文豪の小説が、青空文庫で無料で読める。例えばアルバムや作品集ではなく、作品単位でバラバラで鑑賞できるわけで。例えば文学全集の解説とか、CDのライナーノーツというのはとても重要なものだと思うのですが、それは無かったりします。
文脈を勉強する機会が圧倒的にないともいえます。

◆娯楽コンテンツの多様化  

言っておいてなんですが、このへんは読んでる諸氏のほうが縦横無尽に楽しんでると思うので、割愛していいですか。各種SNS、配信サービス、ソシャゲ、ネット小説…適当に挙げましたが、とまれスマホタブレットが1台あればごろごろして1日終われるということです。(適当)
ニコ動を見てるとよく「スレマ」って出てくるんですがなんの呪文ですかね。

◆「ライトで手軽」を追及する風潮

何年も前、コンビニで初めて、「心が暗くなった時に効く名言集」みたいなタイトルの本を見かけたときは本当に衝撃でした。
自分のメンタルを支える言葉を人に求める。それをコンビニで買う。シュールだなあと思いますけども。まさにコンビニエンス。

* * *

全て、もう散々言い尽くされたことかもしれないですが。
上記のような状況にあって、ふだん本を読まない人が、「たまには真面目に本でも読んでみるか」というような気を起こしたとしても、とっかかりがないわけです。
で、知恵袋やら2chなんかで「オススメの本はないか」と聞いたりして、薦められたものを間欠的に読む。だから、脳内で、読んだものが連続していかない。散逸したままになって、じゃあ似たようなジャンルの作家を探してみようとか、そこまでのモチベーションが湧いてこない。のではないかと。

* * *

ちなみに「質」の話ですが。
「日本映画」の話にのっかっておいてアレなんですけれど、「小説」において、新しく刊行される作品の質が落ちている、かどうかは自分にはわかりかねます。

というか。最近の、年間の文庫の売上ランキング辺り、偏りすぎでは。東野圭吾佐伯泰英宮部みゆき、まあ当たり前っちゃ当たり前ですけれど、前からこんなに固まってたかな。日常的に本を読む人が、安牌思考になっているのでしょうか。

音楽のヒットチャートとかも、まあ。AKB関連、ジャニーズ関連、EXILE関連。あとは自分が10年前から知ってるようなメンバー。いや好きですけどね。歌もパフォーマンスもその他の活動も、本当にすごいなあと思ってはいますが、しかしこう、やっぱり面子が固定化された感はある。

ジャンルは違えど。もしかしたら、共通する部分はあるのじゃないかなと。
世間の耳目に触れる部分のマンネリ感というか。

ただですね。例えば音楽が好きな人、いわゆる「掘っている人」に言わせると、「面白いものはある。上に上がってこないだけ」という意見もよくあります。もちろん、ジャンルが違うので括るつもりではないんですが、人により場所によって、見えてる世界は違うんだろうなあと思うことはある。

★「データベース」を構成するということ

要するに、既存の作品を見たり聞いたりして、自分の中に「体系を作る」ということが、なおざりにされているのではないか…と思います。
よほど興味のある分野でなければ、たまたま見たくなったものにアクセスしておしまい。そこに文脈がない。

自分が興味をもったジャンルに関しては、古今の作品を見聞きすることで、舞台となった時代や国、流行の変遷、大きな影響力のあった人物、などが頭に入ってくるものだと思います。
「fun」な作品だけを求めつづけることもできますし、小説や音楽に興味がないというなら、それはそれで全然良いですし。当たり前ですが。
日々に疲れて、ライトで手軽な作品を求めるのも全然まったく間違いとかではないのですが。

ある程度、身体が(?)慣れてくると、バランスのいい食事を体が求めるように、「interesting」を自然と求めるようになる。それも何というか、「業」みたいなものであって、偉いとか凄いということではないとは思うんですが。マグロが回遊してないと死ぬような感じで、読まないと落ち着かないから読んでるだけです。
(自分の場合はあんまり堅い作品を読まないので、えらそうに言えた義理では全然ないですが)

「へー本が好きなんだーすごいねー」って言われたことある方は分かると思うんですが、そんな珍獣みたいに言われても嬉しくないですし、なんなら牛乳パックの裏の成分表まで読むようになりたいですか? 読んでる本が団鬼六でも、同じように言ってくれますか? っていうかせめて、「何読んでるの? 面白い?」とか、「ふだんどんなの読むの? オススメある?」とか聞いてくれたら答えやすいんですが。嘘です。話しかけてもらえただけでとても喜んでますので、構ってやってください。
 
閑話休題
そうやって、古今の作品に触れることで何が起きるかというと、「対象を文脈の中において見られる」ようになります。
歴史の流れの中で、どのような背景があって生まれた作品なのか。本であれば、ジャンル、時代、社会的背景、世界・人物観、構成、文体、…といった項目が、頭の中で比較されたり分類されるようになる。
格好つけて言うと、「作品について語る言葉を獲得する」ということかもしれません。

上から言う気ではなくて。むしろ、自分の「言葉」、蓄積は全然たいしたことないのですが。
ただ、審美眼とか眼が肥えてるとか(あ、同じ意味か)じゃなくて、頭のなかに構成されている、自分なりの価値観を伴ったデータベース、それがあるかっていうのは大きいと思います。 
それを作らないと、自分が何を見たいのか、他人がそれを見てどう評価しているか、何を考えているのかもわからない。
例えば、自分の好みの作品を見つけるために、探して見定めて購入して、頭のなかで感想や評価をまとめ、脳内データベースにインプットする能力。そういったスキルも、経験を蓄積していけば自然に身につくものですが、大事な力ではないかと思います。

★「世界に1つだけの花」とCGM

では。
ネットが普及し娯楽が増え、既存の作品への系統立ったアクセスが減った現在、音楽や小説はどこへ向かうかと言うと。
「一般の人が、創作をするようになる」という方向へ、向かっていくのではないでしょうか。

* * *

以前、「世界に1つだけの花」が流行った際(先日もランキングに上がっていましたが)、その歌詞の受け止め方は、大きく2つに別れたように思います。
「ナンバーワンでなくてもいい、オンリーワンになればいい。素敵な考え方だ」という人。「オンリーワンなんて綺麗ごとでしかない。花屋に並ばない花もある」という人。

さきほどまでの流れと矛盾するようですが、私はどちらかというと前者です。完璧でNO.1で胸を張っているものもいいですが、ちょっと形が崩れていても愉しそうなもの、纏まっていないけれどパワーのあるもの、独り言のようなものも、とても好きだったりします。
関係ないですが、自分が増田が好きなのも、同じ理由からじゃないかなと思います。種々雑多な言葉がとてもたのしい。

* * *

CGM、という言葉をご存知でしょうか。Consumer Generated Media、消費者生成メディアユーザがコンテンツを作っていくタイプのサイトのことで、口コミサイトやSNSもそうらしいですが、自分にとって「CGM」というと、まず真っ先にニコ動、というか「初音ミク」だったりします。

2011年末から12年始めにかけて、TVで「Google Chrome」のCMが放映されていたのを覚えている方は居られるでしょうか。
テーマ曲は「Tell Your World」。初音ミク、ひいては「ボカロ」文化の理念を歌った曲。PCの前で、ラジオを聴きながら、胸に迫るものがあり、涙ぐんだという人もいました。

ネットから生まれ、場合によっては笑われ疎まれて、一時の流行と言われ続けてきた場所が、ここまで認められたこと。
初期からジャンルの第一人者のひとりとして活動し続けてきた、kzさんの曲自体のもつ魅力。私は本当にこの曲が曲として好きなんですが、うまく言葉にならない。
あの感動に、様々に理由はつけられると思いますが、ひとつだけ言葉にするなら。その「教えてよ 君だけの世界」という言葉に、自分が今まで追いかけてきたものの正体が見えた気がしました。

* * *

「『ボカロ』のどこが好きなのか? 何が良いのか?」 不思議に思っている方も多いと思います。色々な推測もされます。

「キャラクターが可愛いから」? 確かに可愛いです。でも、可愛いキャラクターは他にも星の数ほどいる。
「機械の声が好きだから」? 確かに、ボーカルをソフトが歌っているというのはとても大きな魅力です。話せば長いですが、ソフトの種類、バージョンやライブラリ、使う人によっても全く声が違います。各ソフトの声質、曲での使い方も様々で、いわゆる「機械っぽい声」「愛すべきたどたどしさ」というのはその一部にすぎないような気もします。
「『バーチャルアイドル』で、中の人がいないから」? 確かに、MMDの始まり、ARやVRとのコラボなど、色々な場面で「バーチャルアイドル」を発揮していますが。「中の人が居ないから良い」という理由で、好きになろうとしてなった人は少数派かと。

「ボカロ」が生まれて続いている、一番の理由。
私はそれは、「『人』の面白さ」だと思います。

初音ミク」がブームとなってから。今までDTM(デスクトップミュージック。PCを使った作曲)を知らなかった人、触ったことがなかった人も、自分で作曲をして、動画を上げるという流れを共有するようになりました。絵をかける人がPVをつけて、歌える人が歌って、「踊ってみた」がまた、MMDのモーションになったり。
自分の好きなものを、好きなやり方で楽しむ人がいて。
それを「好きだ」「面白い」と感じる人がいて、そこからコメントが生まれ、また新しい創作が生まれる。

選ばれた人、実力と運を兼ね備えたスター。そういう人が、いままで自分が見聞きしてきたものを作ってきました。
でも、この「場所」では、誰でも自分の好きなことをしていい。どんな人でも、何かしらの作品を作れるし、それを好きだと感じる人がきっといる。
例えば、電車に乗っている人たちは、みんな似通って見えるけれど。多分、「あなたの世界」はそれぞれにちがう。それがいい。

★ボカロ、カクヨム、「語る言葉」

そんな「場所」は。色々な経緯を経て、今、だんだんと「閉じて」きている、と思います。
もちろん、ジャンル内部には、楽しんでいる人たちが沢山います。自分も楽しいです。それだけでいいんですが。

ニコ動自体の黎明期を過ぎて、ユーザが低年齢化してきた。「場」自体がマンネリ化してきた。それはあると思います。
でも、現場(…?)でやっていることはずっと変わらないです。曲を上げる人がいて、聴く人がいる。遊びがあって愛がある。
それでもなぜ、「最近のボカロはつまらない」と思われるのか。

それは、「拾い上げてくれる人がいないから」
じゃないかと、自分は思います。

「これは名曲」「もっと伸びるべき」なんて、動画でよく見る表現ですけれど。
書いている人の年齢、嗜好、なんて分からないわけです。具体的に褒めている人、曲ジャンルを書いている人だと、リテラシーを推し量ることができますが。
(ちなみに自分の耳ですが、ほぼほぼJ-POPで止まっています。ドラムンベースもファンクもボカロで知りました。)

個人の嗜好や都合にあうものを、やみくもにレコメンドしても、薦められる側にマッチングすることは少ないと思います。あまりに情報量が少ない。
テレビは流行を追いかける。ネットは自分からは何も語らない。
自分から考えて、ジャンルを追いかけて、理解していくしかない。多くの作品に触れて、語れるだけの言葉を持つしかない。経験したこと、自分の人生観、なんかもものの見方に入ってくる。何一つ無駄なものはない。
「Tell Your World」の世界を支えるためには、「Spread My World」がもっと必要なんじゃないでしょうか。
「Everyone, Creator」を実現するためには、「Everyone, Receiver」な精神が必要なのかもしれない。

見下げるとか権威付けするんじゃないです。ただ、作品の工夫を、背景を、あるがままに見たい。

背景や造詣があるもの、技巧を凝らしたものが理解されないなら、ライトで手軽ならなんでもいいなら、だれも技巧をこらそうとはしなくなる。

技巧を凝らしたものだけを称揚しているわけではありませんが。例えばひとくちに「素朴な味」といっても、演出されたもの、ピュアなのが天性で様になっているもの、たどたどしいのが愛らしいもの、など色々とあるはずで。
CGMを見てると、総合的にみて実力のあるもの、新味のあるもの、の拾い上げに失敗している面はたしかにあると思うんですね。
そして「なろう」のように、「ボカロ」のように、ランキング上位はマンネリ化していく。

* * *

そして。
「ボカロ」が陥りつつある状況をまさに、同じCGMとして、「カクヨム」が繰り返そうとしているわけです。

例えばランキングの偏りの問題、作品の公開停止の基準、そういったことも話題に上がっていますが。
要はやはり、「一定の客観的な評価」「ピックアップ」ができていないように見えます。
運営が一念発起して、そのへんうまいこと解決してくれる見込みはなさそうな気がしますが。その辺(まだ)詳しくないので控えます。

で、ユーザーさんが膨大な海の中から、お勧めの小説を紹介されていたりするわけです。
これ、すごく熱いことだと思うんです。そういう気概をもった人が今、「カクヨム」を支えているといっても過言ではないし、それはすごく意義のある格好良いことだと思う。

「カクヨム」が頑張ってくれたら、日本の小説は大きく変わる可能性もある…かもしれない。
例えば小説の賞があったとして、1000作品のうち選考を通った3作品だけが、読者に届くのが従来のシステム。
それが、拾い上げ次第では、1000作品がまるごと、ネット上で多くの人に見てもらえる。その中に、未来の大作家になる人がいるかもしれない。

いままで、小説をネットに投稿できる場所がいくらもあったことはもちろん承知しております。個人サイトでやったっていいわけですし。
ただ、「なろう」を見ると。いったん方向性が定まってしまうと、ひっくり返すのは難しいと思うんですよ。異世界転生ファンタジー(…間違ってたらすみません)なりの需要がこれほど大きいのであれば、なおさら。

なので、まだ単一のカラーに染まっていないカクヨム、楽しそうだなあ、と思っているわけです。

* * *

…なのですが。
既存のジャンル、作家を、もしや知らないのではないかと思われる熱狂的レビューをたまに、いやわりと見かけます。それも自分という個人の見方なので、色々と意見はあるとは思いますが。たとえば、文体が激賞されている作品を見に行くと、メフィスト…じゃなかった、いわゆる「ファウスト」系の文体だったりする。
分かったうえで絶賛してるんだったらいいんですけれど、「日本の文学に新しい風を巻き起こす作品」とか言われると、その、ちょっと、もやっとしないこともないような気もするわけです。おそらく、その方の読書傾向として西尾維新あたりは入っているんでしょうが、一歩進んで(?)舞城王太郎なり、佐藤友哉なりも読んだうえで、その作品を読んだほうが、たぶん客観的評価がしやすい。(すみません、ナマなこと言って。)

そこに、作者がいて読者がいて、感動があるんだから、それでいいんじゃない、って絶対言われると思うんですよ。
私もそう思う。
文章は人です。どんなつまらないように見えても、上から否定されるべきものじゃないです。それがそのひとの個性だから。ゆるがせにしていいものじゃない。
世の中に色々な人がいるように、色んな味があるから。拙くても厨二病でもなんでもいいんです。その多様性が愉しい。

ただ。その読者が、「いままで本を5冊しか読んだことがない」場合と、…そうだな。「500冊くらいは読んだことがある」場合だったら。
自分だったら、500冊読んだひとの薦める作品を優先的に読ませてもらいたいと思います。人生は有限なので。
そして、「純文学、ミステリ、SF、恋愛物、なんでも読む」と、「ラノベしか読んだことがない」だったら、前者の方のほうに、何を読みたいか相談したい。
わかると思いますが、ラノベを貶してる訳じゃないですよ。逢坂大河は私の嫁です。SAO1巻ほど練られたエンタメはそうそうないと思います。そうではなくて。
まぁ、はい。…小説は愉しいねってことですね。

★「データベースサイト」のある未来

で。じゃあ具体的にどうすればいいのよ、って話なんですけど。わかったら皆やってるとは思うんですが。

個人的な意見、というか、夢想としてはですね。
小説や音楽や映画の「データベースサイト」とか、あったらいいなあ、と思うんですよね。
 
レビューサイト、というものは今でもいっぱいあります。例えば本のレビューが読みたかったら、Amazonレビューや読書メーターを見る。Amazonなら「参考になった」が多いレビューが上位に上がっている。いいシステムだと思いますし、良い評価が多いレビュアーさんは、やはり見る目がある程度保証されていると思う。
ただし、レビューサイトの欠点は、「全体が見えない」ことです。自分から検索しないとたどり着かない。

話は変わりますが、国語の資料集ってあるじゃないですか。アレは実によくまとまった「読書の手引き」だと思うんですが、惜しむらくは、そもそも資料集を読み込んでる時点でわりと変態、おっとちがった相当の本好きだと思われるんですね。脳内データベースがまっさら状態の、手引が本当に必要なひとには届かない。
また、アナログかつ教材なので、アップデートが中々されないこと、いわゆる「純文学」中心であること、そもそも1冊なので情報量が圧倒的に足りないこと、も弱点ではあります。

なので、レビューと資料集が融合したサイトがあったらいいんじゃないかな、と思います。

文学史なりがまとめてあって、作家や作品名をクリックすると、Wikiっぽいものと、作品レビューが見られる。多く票を集めたレビューが上位に上がっている、みたいな。
「流れ」とか「カラー」を頭に入れた上で作品を読んだほうが、無駄がないと思うんですよね。新潮や岩波であれば巻末に、歯切れよい名文で解説が載っているとは思いますが、まず読む前に、全体を捉えることに意義がある。
出版社のブックフェアなんかも、バランスよく色々な面白そうなタイトルが紹介されていますが、バランスが良いだけに、細切れになりがちです。ぶっちゃけ量が足りない。

ジャンルの定義とか、歴史の仔細とか、人によって見方が違うだろう事柄については、議論する場を設けたい。これは、知恵袋とかでぽこぽこされている質問にバラバラの答えをしている人たちをみると、議論が深まってるようにはとても見えないので。対立するにしても、纏まっていたほうがやりやすいんじゃないかと。

「啓蒙」というよりは、単に「読書ガイド」みたいなものです。得意ジャンルはみんな違うし、みんな対等なわけです。当たり前ですが。
喉が渇いたときに、喫茶店があるように。何か読みたいな、というときに、ふらっと足を運んでくれればいい。

だから、紹介する側も、権威を後出しでまつりあげるのではなく、自分の言葉で、重みをもって語れることが大事なんだと思います。高名な作品ぐらい、本が好きだったら誰でも読んでいますが、自分の知識でそのすごさをちゃんと語るとなると、意外と難しいと思う。
でもって、古今の作品について、ぶっちぎりの愛を語ってほしい。その熱量が、「識っている側」から「識らない側」へきちんと届いたら、それはぜったい無駄にはならない、と思います。

そして。見るだけじゃなくて、本を好きになった人たちのいくらかが、作る側に回る。
インプットが多いほど、アウトプットは豊かになる。「小説の書き方」的な場所では言われ続けていることですが。

* * *

で、もし、なんですが。
「このサイトに載っている有名な小説はだいたい読んだ、概要も理解して自分なりの考え方も持った、最短でいっぱしの本好きになった」っていう人がいたとして。それは間違いです。
我々が苦労して育んできたリテラシーを、一瞬で獲得できるように見えるならそれはちがう。
それは長い長い道のりで、終わりはなくて、ただ背中を押して、走り出す手伝いができるだけなんだと思います。自転車の練習と一緒。

気が乗らなければ全然いいですし。気が向けば、また乗る機会もあるんじゃないでしょうか。本なんて出会いだし。啓蒙されて読むものでもないですし。

たまに見るんですけど。子供の頃に親や先生に「教育に良い」本を薦められて、本が嫌いになったよ、っていう人。
それも、紹介する側に、蓄積が足りてないんじゃないでしょうか。「坊っちゃん」じゃなくて、はやみねかおるの「夢水教授」とかにしておけばよかったのかもしれないですね。男の子なら、図鑑絵本とかも愉しいかもしれない。

プレゼントと同じです。高価でなくても、有名なブランドでなくてもいい。世間の評価よりも、自分が相手をみて、「これが好きだから、これなら気に入ってくれそうだな」ってものをもらったほうが嬉しい。それが、「好き」の気持ちを表してるみたいで嬉しくなるから。

* * *

で、さらに、流れが浸透していったとして。読むようになったひとがハンパに知識をつけたらどうなるかっていうと、半可通がしこたま生まれるわけです。
本来、個人で地道につけていくべき見識を、言ってみればちょっとズルして、背中を押してあげてるわけですから。
従来は、ある程度ふるいわけられていた「読む人、書く人、語る人」という枠がなくなり、小学生でも2ちゃんねるに書き込める時代になにが起きるかというと、もう考えただけで面白いですね。

ちなみにボカロは、もうその段階に入っている気がしなくもないです。「音圧」「ダブステ」「チップチューン」「EDM」あたりが、もう動画で見たくない単語ランキング10位以内に自分内でランクインしています。

まあそんなわけで、元々リテラシーのあるひとにとっては、さらに生き地獄の様相を呈すると思います。阿鼻叫喚。
そのときは、古参の方がザックリいっちゃっていい、と思います。

* * *

はてなの凄くいいところだと思うんですけど。エントリへのコメントが、人に紐付いてるじゃないですか。だから、あんまりばかみたいなコメントをできなくなる。

「含羞」って、すごく大事な感覚だと思うんですよ。「無知の知」というか。知らないとはずかしいな、ちゃんと喋るだけの知識がないから、ここは黙ってよう…って感覚。
自分より知見のある言葉が既に書いてあれば、そっとスターをつけるだけ。「そうなんだー知らなかった☆」とか言えない、言わないだけの矜持が、いちおうこんな自分にもあるわけで。
昔は「ggrks」だの「3年ROMってろ」なんて言葉もありました。そういう怖い言葉が好きでもないですが、言いたいことはよくわかります。

「見栄を張る」という風潮、背伸びが人間を成長させる…面もあると思います。それが、はてなのクオリティの源なんじゃないかと。新参なのでよくわからないですが。
なのでまあ、多少はギスギスしててもいいんじゃないですか。
もっと悟ってしまうと、「識っている事自体に含羞を覚える」ようになるのかもしれませんが。そんな人ばかりだと、穏やかすぎて世の中、楽しくないので。

関係ないといえば、ないのですが。
他人の文章とか、挙げたラインナップとか、頭っから否定するのはとても簡単です。「何、これ」とか「イミワカンナイ」って言えば、簡単に他人を斬れます。
でもそれって、すごく卑怯未練じゃないですか。じゃあ自分の審美眼を、文章を、作品を見せてみろ、と言いたい。
何かを語っているほうが、生み出している方が。頑張っているぶんだけ、ちょっとだけエライ。と、わたしは思います。
ですね。…はい。それだけです。

* * *

…忘れてた。なので、CGMの方のピックアップは本当に難しいと思うんですよ。ジャンルも知名度も実力もバラバラで、それ自体を愉しい、とみんなが思っているから集まってくるわけで。商品でもないものを、「評価」するのは特にむずかしい。

なので、そういうポータルがもしあるとしたら。少なくとも最初は、「拾い上げる人」の見る目に頼るしかない。そして、カクヨムでも言われていますが、その「拾い上げる人」の方も、「参考になった」とかで評価される制度があったらいいと思うんですよね。
でもって、ピッカーの方も、自己紹介欄とかが公開できたらいいなと。そうすると、自分と好みが同じ人を探して、そこから広げていったりすることができる。

難しいけど、できないことではないと思います。たとえば小説の賞に「下読み」というひとたちが存在するということは、新しく生まれ続ける小説に「一定の客観的な評価」ができる、ということでもある。それを楽しませてもらうだけで、絞り込まないのがCGMですが。


まあ、楽しく読めればそれでいいんですけど。
この先も、何年たっても、いま好きなものと楽しく付き合うために。何をしたらいいかな。何ができるかな、と思ったりします。

★「小説は衰退しました」か?

小説は、音楽は、衰退してるんじゃない。 
ただ、語れる言葉が、受け手の蓄積が、圧倒的に足りない、のではないでしょうか。
深く知る中から、また新しく作る側が現れる。
そうやって、時代に合わせて、進化していくのだと思います。

昔からあるものを浴びるように触れ、新しいものを貪欲に取り込む。
受け取るだけでなく、作ることもできる。
このネット時代には、古い作品も新しいそれも、簡単にアクセスできる環境がある。

上澄みをすくって、浅いところを楽しむだけじゃなく。深層を掘るだけでもなく。
ジャンルが縦横無尽に蕩尽されて、また生み出されたらいい、と思います。

人の、作品の、ありのままの姿を認め合えるような、そんな世界になったらいいな、
とか思いました。


本日は以上です。