借り物の言葉はいつ自分の言葉になるのか
こんばんは、今日も寒いですね。
最近ずっと、意識の水面下で気になっていることがあって、帰りの電車の中でふと思い出しました。
ブログを書くのに、文字の大きさや改行がバラバラになるのが面倒なので、プレーンテキストで貼り付けられないのかな…と。
「プレーンテキスト」って言葉が思い出せなくてですね。脳内でずっと、茶色くてしっとり揚がっている輪っかのアレが浮遊していたわけです。それプレーンドーナツですね多分。自分の脳はどうなっているんだろう。
ちょっと調べてみたところ、「見たまま」モードを捨てて、「はてな記法」か「Markdown」モードへ移行したほうがいいんじゃないかな、という気がしてきました。どれがいいのかはもうちょっと考えます。
今日、ホッテントリを流し読みしていたところ、新しい言葉を知りました。
「出羽守」。でわのかみ、と読むらしい。
外国のことを持ち上げて、日本のことを悪く言いたがる、という批判的な言葉のようですが。
小説が好きなので、そこそこ語彙は多いつもりなんですが、その「外」の言葉にはまるっきり疎いんですよね。「人いきれ」も「墨痕淋漓」も読めて使えるけど(使う機会はぜんぜんないけど)、「泡沫候補」とか「太客」とかいう言葉に弱い。「野球拳」も高校三年まで知らなかったし。(…実際やったわけじゃないですよ?)
で、まぁ調べて意味を知ったので、今後は「出羽守」を知っている人として人生を送ることができるわけです、が。
なんかね。しっくりこない。
使われているところをはじめて見たわけだし。ぐぐって3秒だったし。
「借り物」感がハンパないわけです。一言で言うと。
でも。今後の人生で、この言葉と出会う機会ってそう度々あるでしょうか。
「それは普段が不勉強すぎる!もっと堅い本を読め!」って言われても、ねえ。
このあいだ、「星を継ぐもの」ポチってしまったし。どうみても、ヘーゲル勝ち目ないです。SFと哲学があったらSF読むでしょう普通。あえて哲学の方を読むとか、ド変態のすることですよ。ええ。
…何の話だったかなぁ。そうだ、「借り物」ですね。
例えば、ある程度まとまった長さの文章を書くときに、事実が必要になるとします。
自分のよく知っている事柄について書くぶんにはね、別にそれほどどきどきしないんですが。 ここ間違ってんだよこのダボが!とか言われても、あっしまった…!で済む気がするんですけど。(いやすぐ直しますよ、申し訳ないし恥ずかしいし落ち込みますけれども、見てお分かりのようにロクに中身のあること書かないから)。
問題は、自分がイマイチよく知らないことを書くとき。
世の中、己が識っていることなんて、ほんっと一握りですから。
その中でも自分はかなりぼーーっとしている方ですから。自分でいうのもなんだけど。
なんかね、いつも不安なんですよね。
自分が普段触れているわけでもない事物を、知った顔して書いていいのかなぁ。一応ネットで調べたけれど、コレすごく間違ったこと書いてないかなぁ。
もちろん、Wikiなり白書なり、確認して引用することは可能です。でも、内容や文脈をよく理解していないままの受け売りは、時に間違いですらあるかもしれない。
知らない言葉をネットで調べると、往々にしてgoo辞書が出てきます。goo辞書は「国語」「類語」などいくつかの項目に分かれており、「国語」カテゴリが採用している辞書はただひとつ、小学館の『デジタル大辞泉』です。
辞書ごとの差異や内容について語れるほどの知識はありません。ありませんが、日本人の語彙の手近なソースとして、『デジタル大辞泉』がいかに大きな力を得たか、と思うとちょっとそら恐ろしくなるときがあります。(アレ1日どのくらい見られているんですかね? 面白いので知りたい。)
しかし考えてみればですね、世の中、自分が手にとって「識っている」ことなんてほとんど無いんですよね。とも思います。
別に宇宙に行かなくても、水金地火木土天海冥(…冥王星はもう惑星じゃないんでしたっけ?)くらいは言えるわけですし。PCのメモリなんて、いろいろ構造とか方式とか勉強するけど、見た目は黒っぽい板にしか見えないし(これは人によるか)。
まぁだから、ビビりながらもなるべく明らかな間違いのないように、片隅で喋っているだけでもいいんじゃないですかね。と、自分を鼓舞してみます。
別にWWWでやる必要もないけど、壁に向かって一人で喋っているんじゃ危ない人ですし。 たまにはよく分からない感慨吐いてもいいじゃないですか。…睡眠時間があまり削れなければですけど。
借り物の羽根でも、毎日使っていれば、身につくかもしれないし。身につかなかったら抜けるだろうし。
少しは格好つけてもいいのかなと思います。つけられてないけど。
ということで、まぁ、今後ともボチボチいこうかなと思っております。
本日は以上です。