あなたの歌がききたくて。

小説とVOCALOIDと知らない人のことばが好き。

はてな匿名ファンレター

いただだだっ…
 
足が痺れています。PCの前で正座なんてするもんじゃないです。
なんで正座していたかは聞かないでください。ちょっと、人生の岐路に立ってました。別に過去形ではないか。

えっと。
くしゃくしゃするので、最近ずっとやりたかったことをやります。

ファンレター、ってあるじゃないですか。好きな漫画家さんとか作家さんとかに送るやつ。
芸能人やアーティストをはじめ、色々な事物についてファンとして語っている人は多くいますが。
なぜ、ブログやブクマをしている人にはファンレターが書けないんでしょうか。

いや別に、ブコメやコメントでいいじゃん?って思うでしょ?
でも、皆さん結構まめに更新されるじゃないですか。
それでね、読む時も読まないときも勿論あるんだけど、読むとわりと高確率で、何かしら語りたくなるんですよ。

でも、毎回星つけて、ブコメしてたら、結構怖くないですか。
自分だったらこわい。
べつにネットストーカーではないですけどね。
色んな人に分散して興味があるわけです。

たまたま出会った記事にもうっかり気持ちのままに星つけたり、そこそこしてますけど。
どうなんだろう。広報スターだと思われてたらやだな。

なので、これでも抑えめにしてるつもりなんですが。
そもそも、遊びのために取った(言い切った)アカウントで、ストレスを溜める意味が分からない。
というわけで、
その「興味」の対象について、書き散らそうと思います。

もちろん、宛先は書きません。向こうも困るだろうし。

対象はブロガーさんかもしれないし、ブクマカさんかもしれない。
増田でたまにみる同一性のある文体かもしれないし、特に何って決めずにはてなをやってるひとかもしれない。

フォローの内外や読者数も全く区別していません。特に誰宛でもありません。エアトラバみたいなものです。
気が済んだら非公開にしますので。お星様とかはお気になさらず。

自分が書かれてるかもしれないのが正直受け付けないとか、(ないと思うけど)逆に無かったらやだなとか、思われる方は見ないほうが幸せになれるかと。
っていうか、自分だったら引きますけどね…
(じゃあ書かなければいいのにw)

***


f:id:WALKING43:20160720222716j:plain:w500


● 流れるように軽やかにリズムに乗せてくる人。
真面目な話題でも、しれっと梯子を外してくるところがすごい自然。
努力の末に手に入れたものなんだろうなと容易に察せられるところがまた。
言葉の使い方がすごく生真面目で、非常に長い回路を通って表出してるんだろうなと思うんだけど、そこまでPCの前に座りきってるというよりは、回路を通る速度が速いんだろうなと思う。その辺りはやっぱり、努力でどうにもならない部分なのかもしれない。

● 興味のあるところが、恐縮ですが自分と近いんだと思う。まだ、どんな方向で書かれるのかほぼ分からない状態なので、なるほどそう来ましたか…となって何でもおもしろい。

● すごい勉強家というか、教養のある方だなあと思う。はてな女子の皆さんレベルたかい。震えるしかない。震えてる場合じゃないけど。
読んだ本とか観た映画とか、結局はリアルで時間を取って観たもの聞いたものが、自分の中身になるわけじゃないですか。それが整理されてブログの記事になるわけで、こうやって世の中のひとはどんどん階梯を上がっていくんだろうな。自分も全く見聞きしないではないけど、そうやって綺麗にアウトプットするのはすごく難しい。

● 何気ない描写から、匂いや空気感、季節の流れを感じるというか。その場にいるような雰囲気が立ち上がってくる。最初すごくびっくりした。
淡々と話しているうちに、いきなり発想が飛んだりする。えっ、どこに着地するんだろうこれ?って思っていると、どこであれうまく乗せられて、ふわっと落ち着く。
自分の送っている日々をありのまま書くということは、実はとても難しい。自己への客観性が求められるし、同時に、自分というものを大事にしなければできない。(上からっぽく書けちゃったけどそういう意図ではない)
うまく言えないけど、「自分を読まれている人」は、凄いなと思う。

● 透徹した目を持ちすぎて、一周回って万物に慈愛のまなざしを向けているように見える。菩薩のお顔を思い出す。
もうちょっと書いてたんだけど、そら恐ろしくなって消しました。

● 必死に頑張りすぎて、潰れかけているように見える。
いくら自暴自棄に書いても、透明感が消えない。何でだろう。はてな檀一雄みたいな人。

● 書き始めてから今まで、心境や状況が変化してきたんだろうなと思う。いろいろと。
(敬語にしたかったけどうまく敬語にならなかった。日本語むずかしい)
あんまり見てるのもあれだけど。なんかこう。うん。

● すごく女性らしい、優しいけどしなやかで芯のある、憧れるしかない方。
更新されたタイトルを見るとほっとする。
この方に限らないけど、ほんのりブルーだったり、そういう文章もたまにあって。いくら雲の上の人にみえても、当たり前に悩んでいることがあるんだなあと。
例えば、新聞や雑誌のコラムだったら、連載だとしてもそこまで書かないだろうし。何ていうのか、変な意味じゃなくて、その「ゆらぎ」は貴重ななにかだと思う。

● 更新リストに出てこなくなった。
はてなの仕様についてはあえて調べてない。知らなくても死なないし。知ったら死亡なのかもしれないし。落ち込みたくないし。
元気かなあ。

● 落ち着いた雰囲気と、親しみやすい話し方が好き。
いちど、読者登録する勇気が出なくて、後になって後悔した。
ずっと後になってから、はてなトップかダッシュボード(忘れた)で巡りあったので今度こそフォローさせてもらった。どのくらいの確率なんだろう。
ギャンブルや釣りをするひとの気持ちが分かった。ツキは逃したら駄目なんだと強く思ったので、最近は遠慮していない。各方面に。

● どうしてあのタイミングで、ぱったりやめてしまったのか分からない。
順調に見えたけど、そういうこともあるんだな。

● 大らかというか愛に溢れてるというか。好き。
消されてしまった文章があるんだけど、すごくいいエピソードで今でもぼんやり覚えてる。
刊行されたものだったらずっと手元に残ってるのに、ネットって儚いものだと思う。と同時に、昔のひとは大変だっただろうなとも思う。死後、長い年月が経ってから、書簡がごっそり出てきたりする。

● 何かこう、ブログって結局、人柄なんだよねっていう。好きになるしかない雰囲気がある。
何がすごいかというと、読者の「好き」の気持ちをキャッチして、色々なところが変わっていくのが本当にすごい。伸びるひとはこうやって伸びていくんだな、と。
頑張りすぎじゃないかなあと思わなくもない。たまには休んでください。

● とにかく歯切れよい。すごく普通でまっとうな感性を持ちつつ、普通そこまで上がらないだろう…ってところまで沸騰してみせる。
さすがに違う人間なので、100%同意するわけではないんだけど、あそこまでカラっと言い立てられると何でもよくなってくるというか。カラスも白くなる気がする。(それダメなやつ)
江戸っ子ってああいう人のことをいうのかなあ。

はてなを始めてわりと初期から見させてもらっている人。
人として大きすぎて、未だによく分からない。けどすごくあったかい。
色々な物事について書かれてるから、色々な感想がある。あった。
コメントとかしてみたいけど、まあできないよね。できないまま終わる気がする。

● 知性と毒とユーモアがあって、かつはんなりしている。好き。最近見ない。

● そういえば最近、更新されてないなあ。
こんな大手でも、フォロー返しでもちゃんと読んでくれてたりするんだ…と思ったはじめてのブログ。

● 多分、はてなで初めてスターをもらった人。
色々なところで善行を積んで、徳がいっぱい溜まっていそう。堅実で頼れる存在感がすごい。

● さらっと書いているようで、生活や人格を匂わせる。独特の文体がある。
たまたま増田を見ていたときに、もしやと思う文章があったのだけど。真偽はともかく、「その人だと思わせる」だけの力があるというのは中々ない。某XXさんレベル。
もっと有名になっていいと思うんだけど、そこがまたいい。自分の嗜好じゃなくて。そういうタイプのブログなんだと思う。

● ちゃんと「文学」しているひとを生ではじめて見たかもしれない。
ついていくのにはちゃんと勉強する必要がある。…いや、年齢はたぶん同じくらいですが。
というか、何だろう。もっとこう、キャーキャー言いたい。軽薄におブンガクを追っかけて消費したいというか。そういう人がもっといてもいいと思うんだけどなあ。はてなだし。

● 物の見方が好きだなあとは常々思うんだけど、難しくて理解できないことが多々ある。
経緯を理解するのにまず時間がかかる。あとお名前が好き。

● 自分のいる場所を、きちんと言語化して見せてくれる手際が本当にすごい。
敷かれたレールの上でなく、途中下車して休んでいても、今いるところの景色をきちんと見て、適応しようとしている姿勢には頭が上がらない。自分だったら多分できない。
どこにいても、一歩ずつ前に進もうとしている人が結局強いんだなあと思う。

● 自分と全くかけ離れた状況に居る方。とにかく物珍しく面白い。
更新は間遠な感じだけど、ネットが繋がらないんではどうしようもないよね…。

● 期待のニューフェイスだと思っていたら、しっかりと足場を固めて、軌道にのっている。
きちんと調べて準備して始めて、試行錯誤して、自分の中にあった「このくらい」のラインを達成している。中々できないと思う。きっとリアルでも、出来る人なんだろうな。
見栄えがすごくきれいで、見ていて気持ちいい。楽しそうに書かれてるのがまた。

はてなを始めた初期に認識したブクマカさん。
回転とか知識とか、この人達はなにを食べて生きているんだろうと。今でも思ってるけど。
何というか、自分の中で、勝手に"先輩"とか"先生"みたいな感じ。(言っていいのかなこれ)
昔の話とかもされてる時あるけど、覚えきれない。繋いだら一代記になりそう。

● これまた恐縮な話なんだけど、やっぱり興味の分野が被っていると感じる。気になるジャンルの記事によく見かける。すごく勝手な憶測だし多分間違ってるけど、理想の文章とかエンタメ(?)の理論とか、そういう諸々が頭の中に構築されていそう。
知らない人にこんなこと言うのも何なんだけど、もし小説を書かれたら絶対おもしろいと思う。読みたい。

● きれいな言葉が整然と並んでいる様は好き。でも掴みどころがない。
どんな人なんだろうな、ってたまに気になってる。

● そういえば最近、増田で頑張ってる女性の方。
はてなに来て、ひとくちに才女といっても色々なタイプがあるんだなあとしみじみ思ったけど。これほどアクティブなひとは珍しいと思う。(複数形かもしれない)
よく、あんなに色々とネタが出てくるものだなあと。釣れたときは、それは楽しいんだろうけど。度胸と労力だけでも、並々ならぬものを感じる。

●何というか。「生きてるだけで何となく恥ずかしい」みたいな、訳のわからない含羞を分かってくれるひとはきっと、穂村弘のファンだったりするんだけど、そんな雰囲気の文章。笑えるんだけど内面は真摯。
でも多分、ただ笑って、いつか忘れるくらいで正解なんだろうなと思う。


***


はー…
スッキリした。

まだ色々と忘れてる気がしますが、ちょっと思い出せないのでこの辺にします。

本日は以上です。

たまには残念系だってまじめな話がしたい

書きたいことがちょこちょこありまして。
ちょっともう、見切り発車でお願いします…(最低)

★★★

誕生日:

誕生日でした。わー。
もうあんまり嬉しくもないんですけど、銀座と九十九里浜に連れてってもらったり。(すごい組み合わせだなあ) 祝ってくれる人がいるのは素敵なことです。

f:id:WALKING43:20160705223621j:plain

メニューの上においてるのは、お皿がどかっと来て一時的に場所がなかったのでw

さいきん若干扱いが良い感じなのは、「こいつもそろそろ結婚するだろうから今のうちに触れ合っておこう」的な気運を感じるんですが。結婚?もちろん間もなく!とは言えないかな…。

参院選

「私が投票所に行かない理由」「行く理由」的なエントリがホッテントリに上がっていて面白かった。「行く理由」の方は読んで、すごく素敵だなと思った。権利って何でもそうだけど、先人の志と努力の末に勝ち取られたものなんですよね。
投票所に行くのは、自分にとっては当たり前のことではあるんだけど。その先について、「選挙公報その他をよく読んで、考えて投票しよう」と言うことですね。18歳選挙権も始まったことだし。

互助会:

はてなでブログが書かれる理由を、仮に3つに分けてみる。

ひとつめ、自己満足。
言い方は悪いですけど、記録、感情の吐き出し、オピニオン、色々な感情的欲求によって「書きたい」とおもって書く。いわゆるふつうの人がブログを書く動機。
大きく分けると、「専門性や時事性のあるもの」と、「人間力や文章力で魅せるもの」になるのかな。後者は特に評価が分かれるところなんだと思う。
皆、立場も考え方も使う言葉もちがう人間で、だからブログや増田がたのしい。はてなに来てよかったなあと思います。

ふたつめ、お金。
自分が面白いと思ってファンになってるブログは、いくら収益公開してようがなんとも思わないんですよ。「自分にとって有益な情報や面白さをくれる人」だと認識しているので、報われて欲しいと思うし、更新のモチベーションになったらいいなあ、くらい。
逆に、自分にとっての価値があまり見出せなかったり、客観的にみて(るつもり)で「内容が薄い」と思うような記事はやっぱり苦手。
さらに、その記事が「収益ありきで書かれたもの」だった場合、苛立ちは倍増するわけです。
でも。「面白かったら許せるけど、面白くないと思ったら腹が立つ」って、それは単純に自分の主観だから。難しい。
(そもそも、ネットで収益を得ようとすることが間違ってる!っていう風潮もあるかもですけど。今時、現実として不可能だろうなと思いますし。)

みっつめ、慣れ合い。
これまた言い方悪いですけど。ひとが集まったら交流が始まるのは当たり前で、SNS機能があるんだからやればいいと思う。
例えAmazonレビューみたいな記事でも、それに「これいいですね!」とコメントがつく流れを排斥する筋も権利も自分にはない。
ただ、思うんですけど、そういう「いいね!」的な一言をなぜブコメでやるんだろうと。コメント欄でいいじゃない、と。
ブコメは保存と議論の場、コメントはそのひと本人に伝えたいメッセージ、そういう使い方が本来のはずで。ブクマ数が適正になれば、ホッテントリも落ち着くとか。
…そういう問題じゃないのかな。的外れっぽい。恐縮です。

その、ホッテントリ問題ですが。
薄い記事でホッテントリが汚れる!と言いますけども。
じゃあ良貨で悪貨を駆逐したらどうなのかなあ、と。
はてなのサービスを使っているからには、ブログを書くことは誰でもできる(で合ってますよね…?)。

見てて思うのは、単純に人種の違いのような気もするんですよね。
本が大好きで、文章を見る目が肥えているような人(もともとのネットユーザー的な人)と、リアルに重点を置いていて、ネットはソーシャルのためにやってるような人(ライトユーザー)、の軋轢なのかしらん、と。分からないけど。

まあ、多様性を確保しつつ、仲良くやれたらいいですね。
適当っぽい言い方になってしまいますが、本当にそう思います。

★★★

本日は以上です。

2016年上半期でヘビロテした音声合成ソフト曲を挙げてみる

今週のお題「2016上半期」

まだ夏季賞与の金額が通達されていないので、書くことがありませんね。意識低い社会人で恐縮です。

というと終わってしまうので、ここ半年くらいでUPされたVOCALOID・UTAU曲のうち、特に好きなものを貼ってきます。ラブですめっちゃラブ。(日本語)
ジャンルは意図的にかなりバラけています。そして意外と曲数があります。よかったらぽちぽちしてみてください。


一聴して調声の素晴らしい曲。調声だけでなく、全体から受けるイメージが綺麗でとても好きです。


色々な曲がサンプリングされた一曲。本当に気持ちいい。いつまででも聴いていられます。元曲で知ってるのは「初音ミクの証言」くらいしか無かった。


Fukaseがボカロになると聞いた時には正直、中高生に人気の有りそうな有名人だし分かるけどなんだかな、という感想しか無かったのですが。
コンピCDの顔ぶれがすごい良くてですね、話せば長いんですけど。その中で、さすがの鼻そうめんPを選んでみました。


沢田凛さんは「冬のシューゲイザー祭2015」のタグで知りました。ハスキーボイスなロック。耳が溶けそうな感じが好き。


ヒップホップの何を知っている訳でもないんですけど、でんの子P/松傘さん のこのリズムがどうにも好きです。クリスマスにUPされた、一周回ったラブソング。ミクとラピスが一緒に歌っているのは意外とレアだと思う。


鏡音たちがテッテレーしています。この曲のジャンルに自信がないのでかくのやめておきます(正直)。
これ20分19秒あるんですけど、最初っから最後までテンション上がりっぱなしになるのでほぼ事故。作業用には正直むいてない。
ココシガPはさいきん投稿される頻度がたかくてすごいうれしいです。


これはブレイクコアですって主コメに書いてるから助かる。だそうです。やー、本当格好いい。
あ、ONEちゃんはCeVIOですね。

ぼかろ好きの人なら分かってくれると思うんですが、音声合成ソフトはVOCALOIDだけではなく、フリーソフトであるUTAUも同じように使われて親しまれてきました。で、「ボカロって言っても本当は『VOCALOID・UTAU』なんだけどね」っていう区別をいちおう毎度していたんですけど、近年CeVIO(チェビオ)というソフトも隆盛になってきまして、いよいよ「ボカロ」という呼称ってどうなんだろう、と思うわけです。
やおい」が「BL」になったみたいに、誰か、「音声合成ソフト」のうまい言い方を見つけて流行らせてくれないかなー。(・ω|


アップな感じの曲ですが、切ない。耳から離れなくなります。
歌唱は「v-flower」、通称「花ちゃん」。このディープな声はむしろUTAUっぽいというか、VOCALOIDには珍しい気がします。
余談ですがこのPさん、色々と「場所」にあわせて曲の引き出しを探っているようで、すごいなと感じます。今後どんどん人気になっていきそう。


ルカさんとR&Bという、願ってもない組み合わせ。シャレオツPってインパクトあるお名前ですが、本当にお洒落な曲ばっかりで素敵です。
IAちゃんのハウスとかも投稿されてます。


MSSサウンドシステムさんは何を貼ろうか迷った。UTAUトロニカで、雪歌ユフが使われてますがインスト。
きもちいいとしか言いようがないです。


初音ミクのクリアボイスが存分に堪能できる、美しすぎる曲。間奏にギターが入るところで何か叫びたくなります。(だから日本語)


ういさん!久しぶりのういさんじゃないですか…! ものすごく明るい曲ですね(弊社比)。
暗いようで、寄り添ってくれる独特の優しさがとても好きです。


教科書にもお載りになったきくおさんをここに持ってくるのか!って感じですけど。もうさんざっぱら色んな人が紹介されてるだろうから、いいかなって…(適当)
最近はやりのストーリー化を始められたんでしょうか。全容が気になる。


電ポルPで花ちゃん。1月はこの曲の再生数をそうとう伸ばしたと思う。


とあさん。軽やかなリズムにのって歌われる、お別れの歌。


某・有名なミク曲のカバー。「ボカロ」の文脈をしらないひとには分かりづらいかもしれないんですけど、もう愛しか感じないですね。本当に。
主コメにわざわざ「ここを変更しています」って断ってあるんですが、ryoさんなら絶対に分かってくれると思うし、この動画を良いと思うひとにも伝わってると思う。

そういや、文章内でソフトを呼び捨てだったりちゃん・さん付けしてたりしますが、特に意味はないです。車の名前くらいの距離感で呼んでます。みんな好きですので、あしからず。


2016年下半期も、自分の知っているPやしらないPの、色々な曲が聴けるんだなあと思うと本当たのしみです。

本日は以上です。

赤い傘と傘っぽいなにかの話。

f:id:WALKING43:20160620220327j:plain
https://www.pakutaso.com

雨が嫌いだ。

かの有名なエヴァの最終話、最後のシーンには有名な台詞(群)がある。自分の閉じこもる殻を破り、個として生きていく決意をした碇シンジに、登場人物達が言う、「おめでとう」。

が。私があのシーンで一番印象に残った言葉は、それではない。
「雨の日は、憂鬱」というレイの台詞。そしてそれを受ける、「雨の日だって、楽しい事はあるのに」という、リツコの台詞である。

自分はとても単純な思考回路をしているのか、晴れた日は、ただそれだけで気分が良い。風の強い日も、元気になれる気がして好き。
雨の日は、空が暗い。足元が泥に塗れる。傘を持つのも濡れるのも面倒だし、何だか気分まで暗くなる。

でも、物事なんて、見方ひとつで変わるもの。
本当に当たり前のことで、わざわざ書くまでもないのだけど。
ほんの些細なきっかけで、ちがう世界が目の前に開けたりする。

★★★

先日、傘が壊れた。
赤くて大きめの、裏側に星座の描いてある傘。
 
会社の先輩(厳密には違うけど)とお揃いでサンダルを通販してもらうついでに、カタログをみて気に入ったので一緒に購入してもらった(もちろんお金は払った)。
明るくて元気で、広い方面に気配りができて、憧れの人だった。こちらがうまく態度に出せないので、向こうはそんなこと知らないと思うけれども。
今年に入って、産休で現場を退かれたので、今は一緒に仕事をしていない。

そこへもってきて、傘が壊れた。気がついたら骨が折れていた。
それほど高いものではないし、折り畳みもあるのでそこまで困るわけでもないのだけど。
自分でも意外なほど、さびしいな、と思った。

広げると、内側に星空がみえる。珍しく、人との繋がりで手に入れた、お気に入りの傘。
気がつけば、雨の日が少しだけ、楽しくなっていたのかもしれない。

形あるものはいつか壊れる。
だから、今あるものを大事にしようと思う。思ったことは、言葉にして残しておこうと思う。
相変わらず、大した文章じゃないけど。

★★★

さいきん、自分の視野内に、悩んでいるのかもしれない人がいる。

本当のところどうなのかはしらない。
「もう、特にやりたいことがない」とか、しれっと言う。
正確には「しれっと書く」。
なにせ、ネットの向こうの人なので。
実際何を思っているか、パッと見でどういう人であるか、とかそういうことは完全に想像の埒外である。

ただ。顔を見たことがなくても、その言葉はほんものだと思う。
色々な勉強をされていて、単純にすごいと思う。日常の些細なエピソードを書くにも、味があって。何でだろうなあ。


お気に入りの傘がひとつあるだけで、雨の日が楽しくなることもある。

自分はどうも、傘にはなれそうにないのだけど。
その人にも、誰か、何か。
傘っぽいなにかがみつかればいいなあ、と思っている。


本日は以上です。

大家さんが店子の肝の小ささに驚いているようです

f:id:WALKING43:20160516235507j:plain:w400
https://www.pakutaso.com

「ちわー。もう開いてますか」

「おお、四介さんじゃないか。居酒屋じゃあないんだから、開いてますかってことはないがな。まあ、おあがり」

「どうも、ご無沙汰しております。いやあ、実はちょっくら珍しいことがありやしてね」

「…分かった。だから、Pixivもほどほどにしなさいと言ったろう。放っておけばいいんだ、架空請求なんてものはな」

「大家さんが想像する俺の珍事ってなあ、お絵かきサイトでR-18詐欺に遭うくらいが関の山ってかい。
いや、そうじゃねえんですよ。あのね、はてなブログからidコールが来た」

「…運営にどれほどの恨みを買ったら、公式からidコールが来るんだろうな。何をやらかした」

「いい加減にしてくんな、大家のくせにボケてばっかりじゃねえかまったく。
いや、何でも。この間キャンペーンで書いた記事を拾ってもらったらしいんで」

「あー見た見た。アレだろ? 他の受賞者の方がサラッときれいにまとめてるのに、お前さんだけ2倍ぐらいの文字数で、黒歴史を語り倒してたやつだろう。あれは笑った」

「ひとの美しい思い出を、ネタとして昇華すんじゃねえや。…実は俺も、顔から火が出たけど。
まあ、それでさ。幾つかスターを頂いたりしたから、アクセス数を見てみたんですよ」

「伸びてたかい」

「聞いて驚けクソ大家。…なんと、普段の6倍になってた」

「誰がクソ大家だまったく。…とにかく、6倍とは驚いた。さすが公式の力だね。
…で、1日でいくらぐらいだったんだい」

「初日は60台前半。そのあと数日は、そのビッグウェーブが続いたらしい」

「…思ってたよりはるかに切ない話だったね。普段のことはもう聞かずにおこう」

「ま、こんな中身の薄いブログでそれだけ見てもらえりゃ御の字でしょう。
更新も大してしてねえしね」

「ならなおのこと、これを機に、ご挨拶のひとつも書いたらどうなんだい。
読者登録させて頂いた、して頂いた方もいるんだろう。有り難いことじゃないか」

「それがね。…忘れたんで」

「なにを」

「いままで、どんな感じで書いてたのかを忘れた」

「…ビビったんだな。
さっきからたまに、マナーモードみたいに震えてる理由がようやく分かったよ」

「…あいすいません。
っていうかね、どう考えても、フォロー頂いた人とレベルが違いすぎる」

「そりゃそうだろう。今後、鋭意努力したらいいじゃないか」

「いや、まじめに背伸びして書こうとすると、また熱いポエムになることに気がついたんで…。
ネット上に新しい黒歴史を刻むことに躊躇いを覚える」

「お前さんの人生は、ろくでもない思い出に満ちる運命なんだね。
…まあ、気負っても仕方がない。ぼちぼちやんなさい」

「へい。
…そのような訳にあいなりまして、どなたさまも宜しければ、気の向いたときにお立ち寄りくださいませ」

「いったい何者なんだお前は」

かもめは胸の中で羽ばたかない

 高校生の頃、演劇部に所属していた。近所だからと何となく決めた高校に合格した春休み。久しぶりに読んだ小説が「演劇」を扱ったものだったという、安易な理由で憧れて入部した。
 春の柔らかい日差しが差し込む教室。机を後ろに寄せて作ったスペースで、準備運動やエチュードをやっている先輩たちは楽しげで、格好良くて憧れた。
 そのなかで一番、動作が大きくて目立っていた人。
 校則違反のブレスをつけて、下手な冗談を言っては自分で笑っていた先輩に、恋をした。

 よくある話なのだけれど。先輩には好きな子がいた。
 自分の同期の一年生。色白で骨細で、最初は近づきがたくも思えるのに、とても気遣いがうまい。するっと人の懐に入って、忘れられなくなるような女の子。
 つたない話し方しかできない、人見知りで引っ込み思案の自分には、それがとても眩しかった。
 
 入部して分かったことなのだけれど、演劇に一番必要な能力は、戯曲を理解することではない。自分の身体を意図するままに動かせること、他人とセッションができるコミュニケーション能力。それがないと始まらない。
 春が過ぎ、若葉の頃になって。置いて行かれるのではと焦り始めたのは何月頃だっただろうか。

 休日も部活関係で潰れたり、自分でも演劇を観に行ったりもする傍ら、戯曲にはまって、「せりふの時代」という雑誌なども買うようになった。
 清水邦夫あたりから始まって、成井豊鴻上尚史も何冊か読んだところで、そもそも演劇にはまったきっかけの戯曲に出会った。
 チェーホフの「かもめ」。実際に読むのはそれが初めてだった。

* * *

 1895年作。ロシアの片田舎を舞台に、地元に住む人々と、避暑に来た女優とその息子、流行作家などの顔ぶれが描く人間模様をドライに写した作品。
  

そうらね、おっ母さんは僕が嫌いだ。あたり前さ! あの人は生きたい、恋がしたい、派手な着物が着たい。
ところがこの僕が、もう二十五にもなるもんだから、おっ母さんは厭(いや)でも、自分の年を思い出さざるを得ない。

チェーホフ神西清)『かもめ』新潮文庫、1973年、14頁)

完全に一オクターブ低いやつでね、「ブラボー、シルヴァ!」 それが君、専門の歌手じゃなくて、たかが教会の歌うたいなんですからね。

(同上、31頁)

 群像劇のようだけれど、主人公は女優の息子であるトレープレフ。派手好きの母を、複雑な思いを抱きながらも愛している。母であるアルカージナのほうも、息子を愛してはいるのだけれど、彼が書いた新進気鋭の戯曲を悪気なくひとまえで貶してみせたりと、想いが通じあっているとはいいがたい。
 
 後者は、アルカージナの兄の家の支配人であるシャムラーエフの台詞。舞台が好きで、知り合いでもない役者や歌手を馴れ馴れしく語り、自分の興味のある話しか話さない。

 チェーホフの偉大さはいまさら語るまでもないけれど。この戯曲の傑出しているところは、登場人物が一人残らず、愚かで自分勝手に描かれている所だと思う。それでいて、人間くさくて愛おしい。
 四幕の喜劇、と銘打っているけれど、コメディというにはあまりにも救いがなくて、写実的。それでも、滑稽で笑ってしまう。
 そして、チェーホフのなかでも、この戯曲に目立つ特徴。
 それは、登場人物の恋愛が多い、ということである。

 トレープレフは、その土地で暮らす女優志望の娘、ニーナに恋をしている。が、ニーナは都会にあこがれていて、流行作家であるトリゴーリンと都会に行くことを決意する。

* * *

 演劇部の活動にも慣れた頃、夏休みに学校で合宿があった。学校から何駅か離れたところにある公民館で、朝から晩まで練習。騒ぎながらお風呂に入って、夜中までお菓子を食べて喋っていた。
 三々五々、寝るなり語らうなりで散っていく中。
 人の寝静まった夜更け、食堂でゲームをしている先輩に、見ていていいですか、と聞いた。
 いいよ、と言われたので、すこし離れた場所に座って、画面を眺めていた。

 いくら言葉を知っても、そのときの自分には何を唇にのせることもできなくて。
 ただ黙って、譜面が流れていくのを見ていた。

 秋になって、別の合宿を校外でやることになったとき。一冊の冊子が全員に配られた。正確には台本ではない。色々な台本の場面を抜いて、滑舌や表現力の練習をする用だったと思う。
 その中に、「かもめ」の一節があった。

 トリゴーリンについて都会へ旅だったニーナは、女優業がうまくいかず、地方まわりで苦しい生活をしている。生まれた土地へ帰ってきたニーナに、トレープレフは「自分と生きて欲しい」と懇願する。そのときの台詞だ。

すっかり、へとへとだわ! 一息つきたいわ、一息!(首をあげて)
わたしは--かもめ。……いいえ、そうじゃない。わたしは--女優。そ、そうよ!

(同上、97頁)

 シェイクスピアの次くらいに、有名な台詞。前後の場面も抜粋されていた。
 ドラマチックで、感傷的。それでいて、真剣すぎてどこか滑稽だ、と思った。
 まるで、そのときの自分のようだった。
 
 文章を覚えて、喋った。舞台ではないので披露する機会はほとんど無かったけれど、それでも何かが昇華される気がした。
 自分の立場からいえば、トレープレフに恋をしていても相手にされないマーシャの役柄であるはずなのに。それは都合よく忘れていたのだろうか。

* * *
 
 秋。学校祭の準備をしているうちに、先輩と彼女は仲良くなったようだった。まるで少女漫画のようだけれど、本当の話だった。
 帰り道、たまたま一緒になったところで、好きな人がいるから付き合えない、と言いにくそうに言われた。
 
 告白してもいないのに振られる、という体験は、なかなかに恥ずかしく、しんどいもので。
 その後、かなり長くひきずることになる。
 演劇自体はそれでも好きで、翌年の夏まで続けていた。後輩が入ってきて、自分の適性のなさを思ってやめたのだけれど、今でもあのころのことは大切な思い出だ。

 それでも、「かもめ」はずっと長いこと、開くことがなく。
 捨てられもせず、本棚のなかで息を殺していた。
 新潮文庫版。昭和48年、10刷。手に取ると、頼りなく軽い。少し黄ばんだ白い色をしている。あの劇のなかで、撃ち落とされて剥製になった、白いかもめのように。

 いま、読み返してみて思う。
 こんなに、小さな世界の話だっただろうか。

 もし、トレープレフがニーナを追って、都会にでてきていたら。
 マーシャが結婚せず、トレープレフにちがうアプローチをしていたら。
 流れは変わっていたかもしれないのに。

 狭い場所で、きらきらと輝く、あのころの世界はもうない。
 その小ささを知ったいま、もう剥製のかもめが胸の中で飛ぶことはないけれど。

 切ないながらも、鮮烈だったあの頃を、この一冊で思い出した。

 
特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/pdmagazine


「小説や音楽は衰退したんじゃない。語る言葉が足りないだけだ」 …とか言ってみる。

こんばんは。

先日行った、MIKU EXPOの話を書こうと思っていたのですが、気になった話題があったので書いたら長くなりました。

★「最近の日本映画は面白くない」

www.sankei.com

この記事が話題を呼び、ホッテントリにも「旬の話題」として出ています。
ライトなもの、確実に集客できるものしか売らない。売れない。そういう風潮の話なのかなあ、と思っています。

この記事は、「日本映画」についてですが。他のジャンルにも、多かれ少なかれそういう傾向があるように思えたので。
以下、自分の(多少は)得意分野である「小説」「CGM」辺りの話に移ります。スミマセン。

★「ハードルを下げないと、読まれない」?

数年前の話。

小説を買いました。講談社のハードカバー。ジャンルは書いてない。訳あって特定は避けます。
帯にはポップな色文字で、「果たして○○は△△なのか?」みたいな感じの惹句が書いてある。
流し読みしたところ、かなりかっちりした、堅めの小説のようで。そのギャップに魅かれて購入しました。

読んで驚いたことに。
その本は、どうみてもミステリじゃなかったです。
まあ、五大文芸誌に載ってたからって純文学だと決めつけるのもあれですが、しかしこれがミステリ小説なら、マルケスもオースターもそれに入ると思う。

ただですね。帯はもう完全に、ミステリを予想させるんですよ。表も裏も。考え過ぎじゃないのって思われるかもしれないけど、どうみても純文のそれではなかった。
これはどういうことかというと。
「ハードルを下げた」んだと思います。

一人でも多くの人に読んで欲しい。そういう、編集者と、もしかしたら装丁の方の、想いがあっての売り方なんだと思います。
そういえば確かに、表紙は何か曖昧な感じでした。ジャンルの見分けがつかないような。カバーを外すと、凝った仕掛けがしてあって。愛情が感じられるんですよ。

日本の小説、ここまで来たか…と思ったことを、鮮明に覚えています。

(ただの思い過ごしだったら…すみません。)

* * *

本屋にはいつのまにか。イラストを表紙にした小説が、多く並ぶようになりました。
疑問なんですが、「イラスト」を好むひとというのは、アニメ・マンガに造詣の深い人だけではないのでしょうか。老若男女の好みが、実写や絵画でなくイラストに傾倒していっているとは思えないのですが。個人的には好きですけれども。

その方針により、売上が伸びているかは自分にわかりようもありませんが、あれも、「ハードルを下げる」ためのひとつの手段なのかなあ、と思ったりします。まあ、中身が面白ければどうでもいいんですけど。

★小説や音楽が「散逸していく」理由

映画でも、小説でも音楽でも。受け手のリテラシー(やモチベーション?)が、全体的に低下していることは否めない。
何が原因かというのは、そうそう分かることではないですが。
時代が進むにつれ、「受け方に連続性がなくなってきた」というのが、一因として挙げられたりするのではないかと思います。

* * *

◆ネットによる、コンテンツへのアクセスの簡便さ
  
古今の曲が、Youtubeで無料で聴ける。文豪の小説が、青空文庫で無料で読める。例えばアルバムや作品集ではなく、作品単位でバラバラで鑑賞できるわけで。例えば文学全集の解説とか、CDのライナーノーツというのはとても重要なものだと思うのですが、それは無かったりします。
文脈を勉強する機会が圧倒的にないともいえます。

◆娯楽コンテンツの多様化  

言っておいてなんですが、このへんは読んでる諸氏のほうが縦横無尽に楽しんでると思うので、割愛していいですか。各種SNS、配信サービス、ソシャゲ、ネット小説…適当に挙げましたが、とまれスマホタブレットが1台あればごろごろして1日終われるということです。(適当)
ニコ動を見てるとよく「スレマ」って出てくるんですがなんの呪文ですかね。

◆「ライトで手軽」を追及する風潮

何年も前、コンビニで初めて、「心が暗くなった時に効く名言集」みたいなタイトルの本を見かけたときは本当に衝撃でした。
自分のメンタルを支える言葉を人に求める。それをコンビニで買う。シュールだなあと思いますけども。まさにコンビニエンス。

* * *

全て、もう散々言い尽くされたことかもしれないですが。
上記のような状況にあって、ふだん本を読まない人が、「たまには真面目に本でも読んでみるか」というような気を起こしたとしても、とっかかりがないわけです。
で、知恵袋やら2chなんかで「オススメの本はないか」と聞いたりして、薦められたものを間欠的に読む。だから、脳内で、読んだものが連続していかない。散逸したままになって、じゃあ似たようなジャンルの作家を探してみようとか、そこまでのモチベーションが湧いてこない。のではないかと。

* * *

ちなみに「質」の話ですが。
「日本映画」の話にのっかっておいてアレなんですけれど、「小説」において、新しく刊行される作品の質が落ちている、かどうかは自分にはわかりかねます。

というか。最近の、年間の文庫の売上ランキング辺り、偏りすぎでは。東野圭吾佐伯泰英宮部みゆき、まあ当たり前っちゃ当たり前ですけれど、前からこんなに固まってたかな。日常的に本を読む人が、安牌思考になっているのでしょうか。

音楽のヒットチャートとかも、まあ。AKB関連、ジャニーズ関連、EXILE関連。あとは自分が10年前から知ってるようなメンバー。いや好きですけどね。歌もパフォーマンスもその他の活動も、本当にすごいなあと思ってはいますが、しかしこう、やっぱり面子が固定化された感はある。

ジャンルは違えど。もしかしたら、共通する部分はあるのじゃないかなと。
世間の耳目に触れる部分のマンネリ感というか。

ただですね。例えば音楽が好きな人、いわゆる「掘っている人」に言わせると、「面白いものはある。上に上がってこないだけ」という意見もよくあります。もちろん、ジャンルが違うので括るつもりではないんですが、人により場所によって、見えてる世界は違うんだろうなあと思うことはある。

★「データベース」を構成するということ

要するに、既存の作品を見たり聞いたりして、自分の中に「体系を作る」ということが、なおざりにされているのではないか…と思います。
よほど興味のある分野でなければ、たまたま見たくなったものにアクセスしておしまい。そこに文脈がない。

自分が興味をもったジャンルに関しては、古今の作品を見聞きすることで、舞台となった時代や国、流行の変遷、大きな影響力のあった人物、などが頭に入ってくるものだと思います。
「fun」な作品だけを求めつづけることもできますし、小説や音楽に興味がないというなら、それはそれで全然良いですし。当たり前ですが。
日々に疲れて、ライトで手軽な作品を求めるのも全然まったく間違いとかではないのですが。

ある程度、身体が(?)慣れてくると、バランスのいい食事を体が求めるように、「interesting」を自然と求めるようになる。それも何というか、「業」みたいなものであって、偉いとか凄いということではないとは思うんですが。マグロが回遊してないと死ぬような感じで、読まないと落ち着かないから読んでるだけです。
(自分の場合はあんまり堅い作品を読まないので、えらそうに言えた義理では全然ないですが)

「へー本が好きなんだーすごいねー」って言われたことある方は分かると思うんですが、そんな珍獣みたいに言われても嬉しくないですし、なんなら牛乳パックの裏の成分表まで読むようになりたいですか? 読んでる本が団鬼六でも、同じように言ってくれますか? っていうかせめて、「何読んでるの? 面白い?」とか、「ふだんどんなの読むの? オススメある?」とか聞いてくれたら答えやすいんですが。嘘です。話しかけてもらえただけでとても喜んでますので、構ってやってください。
 
閑話休題
そうやって、古今の作品に触れることで何が起きるかというと、「対象を文脈の中において見られる」ようになります。
歴史の流れの中で、どのような背景があって生まれた作品なのか。本であれば、ジャンル、時代、社会的背景、世界・人物観、構成、文体、…といった項目が、頭の中で比較されたり分類されるようになる。
格好つけて言うと、「作品について語る言葉を獲得する」ということかもしれません。

上から言う気ではなくて。むしろ、自分の「言葉」、蓄積は全然たいしたことないのですが。
ただ、審美眼とか眼が肥えてるとか(あ、同じ意味か)じゃなくて、頭のなかに構成されている、自分なりの価値観を伴ったデータベース、それがあるかっていうのは大きいと思います。 
それを作らないと、自分が何を見たいのか、他人がそれを見てどう評価しているか、何を考えているのかもわからない。
例えば、自分の好みの作品を見つけるために、探して見定めて購入して、頭のなかで感想や評価をまとめ、脳内データベースにインプットする能力。そういったスキルも、経験を蓄積していけば自然に身につくものですが、大事な力ではないかと思います。

★「世界に1つだけの花」とCGM

では。
ネットが普及し娯楽が増え、既存の作品への系統立ったアクセスが減った現在、音楽や小説はどこへ向かうかと言うと。
「一般の人が、創作をするようになる」という方向へ、向かっていくのではないでしょうか。

* * *

以前、「世界に1つだけの花」が流行った際(先日もランキングに上がっていましたが)、その歌詞の受け止め方は、大きく2つに別れたように思います。
「ナンバーワンでなくてもいい、オンリーワンになればいい。素敵な考え方だ」という人。「オンリーワンなんて綺麗ごとでしかない。花屋に並ばない花もある」という人。

さきほどまでの流れと矛盾するようですが、私はどちらかというと前者です。完璧でNO.1で胸を張っているものもいいですが、ちょっと形が崩れていても愉しそうなもの、纏まっていないけれどパワーのあるもの、独り言のようなものも、とても好きだったりします。
関係ないですが、自分が増田が好きなのも、同じ理由からじゃないかなと思います。種々雑多な言葉がとてもたのしい。

* * *

CGM、という言葉をご存知でしょうか。Consumer Generated Media、消費者生成メディアユーザがコンテンツを作っていくタイプのサイトのことで、口コミサイトやSNSもそうらしいですが、自分にとって「CGM」というと、まず真っ先にニコ動、というか「初音ミク」だったりします。

2011年末から12年始めにかけて、TVで「Google Chrome」のCMが放映されていたのを覚えている方は居られるでしょうか。
テーマ曲は「Tell Your World」。初音ミク、ひいては「ボカロ」文化の理念を歌った曲。PCの前で、ラジオを聴きながら、胸に迫るものがあり、涙ぐんだという人もいました。

ネットから生まれ、場合によっては笑われ疎まれて、一時の流行と言われ続けてきた場所が、ここまで認められたこと。
初期からジャンルの第一人者のひとりとして活動し続けてきた、kzさんの曲自体のもつ魅力。私は本当にこの曲が曲として好きなんですが、うまく言葉にならない。
あの感動に、様々に理由はつけられると思いますが、ひとつだけ言葉にするなら。その「教えてよ 君だけの世界」という言葉に、自分が今まで追いかけてきたものの正体が見えた気がしました。

* * *

「『ボカロ』のどこが好きなのか? 何が良いのか?」 不思議に思っている方も多いと思います。色々な推測もされます。

「キャラクターが可愛いから」? 確かに可愛いです。でも、可愛いキャラクターは他にも星の数ほどいる。
「機械の声が好きだから」? 確かに、ボーカルをソフトが歌っているというのはとても大きな魅力です。話せば長いですが、ソフトの種類、バージョンやライブラリ、使う人によっても全く声が違います。各ソフトの声質、曲での使い方も様々で、いわゆる「機械っぽい声」「愛すべきたどたどしさ」というのはその一部にすぎないような気もします。
「『バーチャルアイドル』で、中の人がいないから」? 確かに、MMDの始まり、ARやVRとのコラボなど、色々な場面で「バーチャルアイドル」を発揮していますが。「中の人が居ないから良い」という理由で、好きになろうとしてなった人は少数派かと。

「ボカロ」が生まれて続いている、一番の理由。
私はそれは、「『人』の面白さ」だと思います。

初音ミク」がブームとなってから。今までDTM(デスクトップミュージック。PCを使った作曲)を知らなかった人、触ったことがなかった人も、自分で作曲をして、動画を上げるという流れを共有するようになりました。絵をかける人がPVをつけて、歌える人が歌って、「踊ってみた」がまた、MMDのモーションになったり。
自分の好きなものを、好きなやり方で楽しむ人がいて。
それを「好きだ」「面白い」と感じる人がいて、そこからコメントが生まれ、また新しい創作が生まれる。

選ばれた人、実力と運を兼ね備えたスター。そういう人が、いままで自分が見聞きしてきたものを作ってきました。
でも、この「場所」では、誰でも自分の好きなことをしていい。どんな人でも、何かしらの作品を作れるし、それを好きだと感じる人がきっといる。
例えば、電車に乗っている人たちは、みんな似通って見えるけれど。多分、「あなたの世界」はそれぞれにちがう。それがいい。

★ボカロ、カクヨム、「語る言葉」

そんな「場所」は。色々な経緯を経て、今、だんだんと「閉じて」きている、と思います。
もちろん、ジャンル内部には、楽しんでいる人たちが沢山います。自分も楽しいです。それだけでいいんですが。

ニコ動自体の黎明期を過ぎて、ユーザが低年齢化してきた。「場」自体がマンネリ化してきた。それはあると思います。
でも、現場(…?)でやっていることはずっと変わらないです。曲を上げる人がいて、聴く人がいる。遊びがあって愛がある。
それでもなぜ、「最近のボカロはつまらない」と思われるのか。

それは、「拾い上げてくれる人がいないから」
じゃないかと、自分は思います。

「これは名曲」「もっと伸びるべき」なんて、動画でよく見る表現ですけれど。
書いている人の年齢、嗜好、なんて分からないわけです。具体的に褒めている人、曲ジャンルを書いている人だと、リテラシーを推し量ることができますが。
(ちなみに自分の耳ですが、ほぼほぼJ-POPで止まっています。ドラムンベースもファンクもボカロで知りました。)

個人の嗜好や都合にあうものを、やみくもにレコメンドしても、薦められる側にマッチングすることは少ないと思います。あまりに情報量が少ない。
テレビは流行を追いかける。ネットは自分からは何も語らない。
自分から考えて、ジャンルを追いかけて、理解していくしかない。多くの作品に触れて、語れるだけの言葉を持つしかない。経験したこと、自分の人生観、なんかもものの見方に入ってくる。何一つ無駄なものはない。
「Tell Your World」の世界を支えるためには、「Spread My World」がもっと必要なんじゃないでしょうか。
「Everyone, Creator」を実現するためには、「Everyone, Receiver」な精神が必要なのかもしれない。

見下げるとか権威付けするんじゃないです。ただ、作品の工夫を、背景を、あるがままに見たい。

背景や造詣があるもの、技巧を凝らしたものが理解されないなら、ライトで手軽ならなんでもいいなら、だれも技巧をこらそうとはしなくなる。

技巧を凝らしたものだけを称揚しているわけではありませんが。例えばひとくちに「素朴な味」といっても、演出されたもの、ピュアなのが天性で様になっているもの、たどたどしいのが愛らしいもの、など色々とあるはずで。
CGMを見てると、総合的にみて実力のあるもの、新味のあるもの、の拾い上げに失敗している面はたしかにあると思うんですね。
そして「なろう」のように、「ボカロ」のように、ランキング上位はマンネリ化していく。

* * *

そして。
「ボカロ」が陥りつつある状況をまさに、同じCGMとして、「カクヨム」が繰り返そうとしているわけです。

例えばランキングの偏りの問題、作品の公開停止の基準、そういったことも話題に上がっていますが。
要はやはり、「一定の客観的な評価」「ピックアップ」ができていないように見えます。
運営が一念発起して、そのへんうまいこと解決してくれる見込みはなさそうな気がしますが。その辺(まだ)詳しくないので控えます。

で、ユーザーさんが膨大な海の中から、お勧めの小説を紹介されていたりするわけです。
これ、すごく熱いことだと思うんです。そういう気概をもった人が今、「カクヨム」を支えているといっても過言ではないし、それはすごく意義のある格好良いことだと思う。

「カクヨム」が頑張ってくれたら、日本の小説は大きく変わる可能性もある…かもしれない。
例えば小説の賞があったとして、1000作品のうち選考を通った3作品だけが、読者に届くのが従来のシステム。
それが、拾い上げ次第では、1000作品がまるごと、ネット上で多くの人に見てもらえる。その中に、未来の大作家になる人がいるかもしれない。

いままで、小説をネットに投稿できる場所がいくらもあったことはもちろん承知しております。個人サイトでやったっていいわけですし。
ただ、「なろう」を見ると。いったん方向性が定まってしまうと、ひっくり返すのは難しいと思うんですよ。異世界転生ファンタジー(…間違ってたらすみません)なりの需要がこれほど大きいのであれば、なおさら。

なので、まだ単一のカラーに染まっていないカクヨム、楽しそうだなあ、と思っているわけです。

* * *

…なのですが。
既存のジャンル、作家を、もしや知らないのではないかと思われる熱狂的レビューをたまに、いやわりと見かけます。それも自分という個人の見方なので、色々と意見はあるとは思いますが。たとえば、文体が激賞されている作品を見に行くと、メフィスト…じゃなかった、いわゆる「ファウスト」系の文体だったりする。
分かったうえで絶賛してるんだったらいいんですけれど、「日本の文学に新しい風を巻き起こす作品」とか言われると、その、ちょっと、もやっとしないこともないような気もするわけです。おそらく、その方の読書傾向として西尾維新あたりは入っているんでしょうが、一歩進んで(?)舞城王太郎なり、佐藤友哉なりも読んだうえで、その作品を読んだほうが、たぶん客観的評価がしやすい。(すみません、ナマなこと言って。)

そこに、作者がいて読者がいて、感動があるんだから、それでいいんじゃない、って絶対言われると思うんですよ。
私もそう思う。
文章は人です。どんなつまらないように見えても、上から否定されるべきものじゃないです。それがそのひとの個性だから。ゆるがせにしていいものじゃない。
世の中に色々な人がいるように、色んな味があるから。拙くても厨二病でもなんでもいいんです。その多様性が愉しい。

ただ。その読者が、「いままで本を5冊しか読んだことがない」場合と、…そうだな。「500冊くらいは読んだことがある」場合だったら。
自分だったら、500冊読んだひとの薦める作品を優先的に読ませてもらいたいと思います。人生は有限なので。
そして、「純文学、ミステリ、SF、恋愛物、なんでも読む」と、「ラノベしか読んだことがない」だったら、前者の方のほうに、何を読みたいか相談したい。
わかると思いますが、ラノベを貶してる訳じゃないですよ。逢坂大河は私の嫁です。SAO1巻ほど練られたエンタメはそうそうないと思います。そうではなくて。
まぁ、はい。…小説は愉しいねってことですね。

★「データベースサイト」のある未来

で。じゃあ具体的にどうすればいいのよ、って話なんですけど。わかったら皆やってるとは思うんですが。

個人的な意見、というか、夢想としてはですね。
小説や音楽や映画の「データベースサイト」とか、あったらいいなあ、と思うんですよね。
 
レビューサイト、というものは今でもいっぱいあります。例えば本のレビューが読みたかったら、Amazonレビューや読書メーターを見る。Amazonなら「参考になった」が多いレビューが上位に上がっている。いいシステムだと思いますし、良い評価が多いレビュアーさんは、やはり見る目がある程度保証されていると思う。
ただし、レビューサイトの欠点は、「全体が見えない」ことです。自分から検索しないとたどり着かない。

話は変わりますが、国語の資料集ってあるじゃないですか。アレは実によくまとまった「読書の手引き」だと思うんですが、惜しむらくは、そもそも資料集を読み込んでる時点でわりと変態、おっとちがった相当の本好きだと思われるんですね。脳内データベースがまっさら状態の、手引が本当に必要なひとには届かない。
また、アナログかつ教材なので、アップデートが中々されないこと、いわゆる「純文学」中心であること、そもそも1冊なので情報量が圧倒的に足りないこと、も弱点ではあります。

なので、レビューと資料集が融合したサイトがあったらいいんじゃないかな、と思います。

文学史なりがまとめてあって、作家や作品名をクリックすると、Wikiっぽいものと、作品レビューが見られる。多く票を集めたレビューが上位に上がっている、みたいな。
「流れ」とか「カラー」を頭に入れた上で作品を読んだほうが、無駄がないと思うんですよね。新潮や岩波であれば巻末に、歯切れよい名文で解説が載っているとは思いますが、まず読む前に、全体を捉えることに意義がある。
出版社のブックフェアなんかも、バランスよく色々な面白そうなタイトルが紹介されていますが、バランスが良いだけに、細切れになりがちです。ぶっちゃけ量が足りない。

ジャンルの定義とか、歴史の仔細とか、人によって見方が違うだろう事柄については、議論する場を設けたい。これは、知恵袋とかでぽこぽこされている質問にバラバラの答えをしている人たちをみると、議論が深まってるようにはとても見えないので。対立するにしても、纏まっていたほうがやりやすいんじゃないかと。

「啓蒙」というよりは、単に「読書ガイド」みたいなものです。得意ジャンルはみんな違うし、みんな対等なわけです。当たり前ですが。
喉が渇いたときに、喫茶店があるように。何か読みたいな、というときに、ふらっと足を運んでくれればいい。

だから、紹介する側も、権威を後出しでまつりあげるのではなく、自分の言葉で、重みをもって語れることが大事なんだと思います。高名な作品ぐらい、本が好きだったら誰でも読んでいますが、自分の知識でそのすごさをちゃんと語るとなると、意外と難しいと思う。
でもって、古今の作品について、ぶっちぎりの愛を語ってほしい。その熱量が、「識っている側」から「識らない側」へきちんと届いたら、それはぜったい無駄にはならない、と思います。

そして。見るだけじゃなくて、本を好きになった人たちのいくらかが、作る側に回る。
インプットが多いほど、アウトプットは豊かになる。「小説の書き方」的な場所では言われ続けていることですが。

* * *

で、もし、なんですが。
「このサイトに載っている有名な小説はだいたい読んだ、概要も理解して自分なりの考え方も持った、最短でいっぱしの本好きになった」っていう人がいたとして。それは間違いです。
我々が苦労して育んできたリテラシーを、一瞬で獲得できるように見えるならそれはちがう。
それは長い長い道のりで、終わりはなくて、ただ背中を押して、走り出す手伝いができるだけなんだと思います。自転車の練習と一緒。

気が乗らなければ全然いいですし。気が向けば、また乗る機会もあるんじゃないでしょうか。本なんて出会いだし。啓蒙されて読むものでもないですし。

たまに見るんですけど。子供の頃に親や先生に「教育に良い」本を薦められて、本が嫌いになったよ、っていう人。
それも、紹介する側に、蓄積が足りてないんじゃないでしょうか。「坊っちゃん」じゃなくて、はやみねかおるの「夢水教授」とかにしておけばよかったのかもしれないですね。男の子なら、図鑑絵本とかも愉しいかもしれない。

プレゼントと同じです。高価でなくても、有名なブランドでなくてもいい。世間の評価よりも、自分が相手をみて、「これが好きだから、これなら気に入ってくれそうだな」ってものをもらったほうが嬉しい。それが、「好き」の気持ちを表してるみたいで嬉しくなるから。

* * *

で、さらに、流れが浸透していったとして。読むようになったひとがハンパに知識をつけたらどうなるかっていうと、半可通がしこたま生まれるわけです。
本来、個人で地道につけていくべき見識を、言ってみればちょっとズルして、背中を押してあげてるわけですから。
従来は、ある程度ふるいわけられていた「読む人、書く人、語る人」という枠がなくなり、小学生でも2ちゃんねるに書き込める時代になにが起きるかというと、もう考えただけで面白いですね。

ちなみにボカロは、もうその段階に入っている気がしなくもないです。「音圧」「ダブステ」「チップチューン」「EDM」あたりが、もう動画で見たくない単語ランキング10位以内に自分内でランクインしています。

まあそんなわけで、元々リテラシーのあるひとにとっては、さらに生き地獄の様相を呈すると思います。阿鼻叫喚。
そのときは、古参の方がザックリいっちゃっていい、と思います。

* * *

はてなの凄くいいところだと思うんですけど。エントリへのコメントが、人に紐付いてるじゃないですか。だから、あんまりばかみたいなコメントをできなくなる。

「含羞」って、すごく大事な感覚だと思うんですよ。「無知の知」というか。知らないとはずかしいな、ちゃんと喋るだけの知識がないから、ここは黙ってよう…って感覚。
自分より知見のある言葉が既に書いてあれば、そっとスターをつけるだけ。「そうなんだー知らなかった☆」とか言えない、言わないだけの矜持が、いちおうこんな自分にもあるわけで。
昔は「ggrks」だの「3年ROMってろ」なんて言葉もありました。そういう怖い言葉が好きでもないですが、言いたいことはよくわかります。

「見栄を張る」という風潮、背伸びが人間を成長させる…面もあると思います。それが、はてなのクオリティの源なんじゃないかと。新参なのでよくわからないですが。
なのでまあ、多少はギスギスしててもいいんじゃないですか。
もっと悟ってしまうと、「識っている事自体に含羞を覚える」ようになるのかもしれませんが。そんな人ばかりだと、穏やかすぎて世の中、楽しくないので。

関係ないといえば、ないのですが。
他人の文章とか、挙げたラインナップとか、頭っから否定するのはとても簡単です。「何、これ」とか「イミワカンナイ」って言えば、簡単に他人を斬れます。
でもそれって、すごく卑怯未練じゃないですか。じゃあ自分の審美眼を、文章を、作品を見せてみろ、と言いたい。
何かを語っているほうが、生み出している方が。頑張っているぶんだけ、ちょっとだけエライ。と、わたしは思います。
ですね。…はい。それだけです。

* * *

…忘れてた。なので、CGMの方のピックアップは本当に難しいと思うんですよ。ジャンルも知名度も実力もバラバラで、それ自体を愉しい、とみんなが思っているから集まってくるわけで。商品でもないものを、「評価」するのは特にむずかしい。

なので、そういうポータルがもしあるとしたら。少なくとも最初は、「拾い上げる人」の見る目に頼るしかない。そして、カクヨムでも言われていますが、その「拾い上げる人」の方も、「参考になった」とかで評価される制度があったらいいと思うんですよね。
でもって、ピッカーの方も、自己紹介欄とかが公開できたらいいなと。そうすると、自分と好みが同じ人を探して、そこから広げていったりすることができる。

難しいけど、できないことではないと思います。たとえば小説の賞に「下読み」というひとたちが存在するということは、新しく生まれ続ける小説に「一定の客観的な評価」ができる、ということでもある。それを楽しませてもらうだけで、絞り込まないのがCGMですが。


まあ、楽しく読めればそれでいいんですけど。
この先も、何年たっても、いま好きなものと楽しく付き合うために。何をしたらいいかな。何ができるかな、と思ったりします。

★「小説は衰退しました」か?

小説は、音楽は、衰退してるんじゃない。 
ただ、語れる言葉が、受け手の蓄積が、圧倒的に足りない、のではないでしょうか。
深く知る中から、また新しく作る側が現れる。
そうやって、時代に合わせて、進化していくのだと思います。

昔からあるものを浴びるように触れ、新しいものを貪欲に取り込む。
受け取るだけでなく、作ることもできる。
このネット時代には、古い作品も新しいそれも、簡単にアクセスできる環境がある。

上澄みをすくって、浅いところを楽しむだけじゃなく。深層を掘るだけでもなく。
ジャンルが縦横無尽に蕩尽されて、また生み出されたらいい、と思います。

人の、作品の、ありのままの姿を認め合えるような、そんな世界になったらいいな、
とか思いました。


本日は以上です。