あなたの歌がききたくて。

小説とVOCALOIDと知らない人のことばが好き。

2016年上半期でヘビロテした音声合成ソフト曲を挙げてみる

今週のお題「2016上半期」

まだ夏季賞与の金額が通達されていないので、書くことがありませんね。意識低い社会人で恐縮です。

というと終わってしまうので、ここ半年くらいでUPされたVOCALOID・UTAU曲のうち、特に好きなものを貼ってきます。ラブですめっちゃラブ。(日本語)
ジャンルは意図的にかなりバラけています。そして意外と曲数があります。よかったらぽちぽちしてみてください。


一聴して調声の素晴らしい曲。調声だけでなく、全体から受けるイメージが綺麗でとても好きです。


色々な曲がサンプリングされた一曲。本当に気持ちいい。いつまででも聴いていられます。元曲で知ってるのは「初音ミクの証言」くらいしか無かった。


Fukaseがボカロになると聞いた時には正直、中高生に人気の有りそうな有名人だし分かるけどなんだかな、という感想しか無かったのですが。
コンピCDの顔ぶれがすごい良くてですね、話せば長いんですけど。その中で、さすがの鼻そうめんPを選んでみました。


沢田凛さんは「冬のシューゲイザー祭2015」のタグで知りました。ハスキーボイスなロック。耳が溶けそうな感じが好き。


ヒップホップの何を知っている訳でもないんですけど、でんの子P/松傘さん のこのリズムがどうにも好きです。クリスマスにUPされた、一周回ったラブソング。ミクとラピスが一緒に歌っているのは意外とレアだと思う。


鏡音たちがテッテレーしています。この曲のジャンルに自信がないのでかくのやめておきます(正直)。
これ20分19秒あるんですけど、最初っから最後までテンション上がりっぱなしになるのでほぼ事故。作業用には正直むいてない。
ココシガPはさいきん投稿される頻度がたかくてすごいうれしいです。


これはブレイクコアですって主コメに書いてるから助かる。だそうです。やー、本当格好いい。
あ、ONEちゃんはCeVIOですね。

ぼかろ好きの人なら分かってくれると思うんですが、音声合成ソフトはVOCALOIDだけではなく、フリーソフトであるUTAUも同じように使われて親しまれてきました。で、「ボカロって言っても本当は『VOCALOID・UTAU』なんだけどね」っていう区別をいちおう毎度していたんですけど、近年CeVIO(チェビオ)というソフトも隆盛になってきまして、いよいよ「ボカロ」という呼称ってどうなんだろう、と思うわけです。
やおい」が「BL」になったみたいに、誰か、「音声合成ソフト」のうまい言い方を見つけて流行らせてくれないかなー。(・ω|


アップな感じの曲ですが、切ない。耳から離れなくなります。
歌唱は「v-flower」、通称「花ちゃん」。このディープな声はむしろUTAUっぽいというか、VOCALOIDには珍しい気がします。
余談ですがこのPさん、色々と「場所」にあわせて曲の引き出しを探っているようで、すごいなと感じます。今後どんどん人気になっていきそう。


ルカさんとR&Bという、願ってもない組み合わせ。シャレオツPってインパクトあるお名前ですが、本当にお洒落な曲ばっかりで素敵です。
IAちゃんのハウスとかも投稿されてます。


MSSサウンドシステムさんは何を貼ろうか迷った。UTAUトロニカで、雪歌ユフが使われてますがインスト。
きもちいいとしか言いようがないです。


初音ミクのクリアボイスが存分に堪能できる、美しすぎる曲。間奏にギターが入るところで何か叫びたくなります。(だから日本語)


ういさん!久しぶりのういさんじゃないですか…! ものすごく明るい曲ですね(弊社比)。
暗いようで、寄り添ってくれる独特の優しさがとても好きです。


教科書にもお載りになったきくおさんをここに持ってくるのか!って感じですけど。もうさんざっぱら色んな人が紹介されてるだろうから、いいかなって…(適当)
最近はやりのストーリー化を始められたんでしょうか。全容が気になる。


電ポルPで花ちゃん。1月はこの曲の再生数をそうとう伸ばしたと思う。


とあさん。軽やかなリズムにのって歌われる、お別れの歌。


某・有名なミク曲のカバー。「ボカロ」の文脈をしらないひとには分かりづらいかもしれないんですけど、もう愛しか感じないですね。本当に。
主コメにわざわざ「ここを変更しています」って断ってあるんですが、ryoさんなら絶対に分かってくれると思うし、この動画を良いと思うひとにも伝わってると思う。

そういや、文章内でソフトを呼び捨てだったりちゃん・さん付けしてたりしますが、特に意味はないです。車の名前くらいの距離感で呼んでます。みんな好きですので、あしからず。


2016年下半期も、自分の知っているPやしらないPの、色々な曲が聴けるんだなあと思うと本当たのしみです。

本日は以上です。

赤い傘と傘っぽいなにかの話。

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雨が嫌いだ。

かの有名なエヴァの最終話、最後のシーンには有名な台詞(群)がある。自分の閉じこもる殻を破り、個として生きていく決意をした碇シンジに、登場人物達が言う、「おめでとう」。

が。私があのシーンで一番印象に残った言葉は、それではない。
「雨の日は、憂鬱」というレイの台詞。そしてそれを受ける、「雨の日だって、楽しい事はあるのに」という、リツコの台詞である。

自分はとても単純な思考回路をしているのか、晴れた日は、ただそれだけで気分が良い。風の強い日も、元気になれる気がして好き。
雨の日は、空が暗い。足元が泥に塗れる。傘を持つのも濡れるのも面倒だし、何だか気分まで暗くなる。

でも、物事なんて、見方ひとつで変わるもの。
本当に当たり前のことで、わざわざ書くまでもないのだけど。
ほんの些細なきっかけで、ちがう世界が目の前に開けたりする。

★★★

先日、傘が壊れた。
赤くて大きめの、裏側に星座の描いてある傘。
 
会社の先輩(厳密には違うけど)とお揃いでサンダルを通販してもらうついでに、カタログをみて気に入ったので一緒に購入してもらった(もちろんお金は払った)。
明るくて元気で、広い方面に気配りができて、憧れの人だった。こちらがうまく態度に出せないので、向こうはそんなこと知らないと思うけれども。
今年に入って、産休で現場を退かれたので、今は一緒に仕事をしていない。

そこへもってきて、傘が壊れた。気がついたら骨が折れていた。
それほど高いものではないし、折り畳みもあるのでそこまで困るわけでもないのだけど。
自分でも意外なほど、さびしいな、と思った。

広げると、内側に星空がみえる。珍しく、人との繋がりで手に入れた、お気に入りの傘。
気がつけば、雨の日が少しだけ、楽しくなっていたのかもしれない。

形あるものはいつか壊れる。
だから、今あるものを大事にしようと思う。思ったことは、言葉にして残しておこうと思う。
相変わらず、大した文章じゃないけど。

★★★

さいきん、自分の視野内に、悩んでいるのかもしれない人がいる。

本当のところどうなのかはしらない。
「もう、特にやりたいことがない」とか、しれっと言う。
正確には「しれっと書く」。
なにせ、ネットの向こうの人なので。
実際何を思っているか、パッと見でどういう人であるか、とかそういうことは完全に想像の埒外である。

ただ。顔を見たことがなくても、その言葉はほんものだと思う。
色々な勉強をされていて、単純にすごいと思う。日常の些細なエピソードを書くにも、味があって。何でだろうなあ。


お気に入りの傘がひとつあるだけで、雨の日が楽しくなることもある。

自分はどうも、傘にはなれそうにないのだけど。
その人にも、誰か、何か。
傘っぽいなにかがみつかればいいなあ、と思っている。


本日は以上です。

大家さんが店子の肝の小ささに驚いているようです

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「ちわー。もう開いてますか」

「おお、四介さんじゃないか。居酒屋じゃあないんだから、開いてますかってことはないがな。まあ、おあがり」

「どうも、ご無沙汰しております。いやあ、実はちょっくら珍しいことがありやしてね」

「…分かった。だから、Pixivもほどほどにしなさいと言ったろう。放っておけばいいんだ、架空請求なんてものはな」

「大家さんが想像する俺の珍事ってなあ、お絵かきサイトでR-18詐欺に遭うくらいが関の山ってかい。
いや、そうじゃねえんですよ。あのね、はてなブログからidコールが来た」

「…運営にどれほどの恨みを買ったら、公式からidコールが来るんだろうな。何をやらかした」

「いい加減にしてくんな、大家のくせにボケてばっかりじゃねえかまったく。
いや、何でも。この間キャンペーンで書いた記事を拾ってもらったらしいんで」

「あー見た見た。アレだろ? 他の受賞者の方がサラッときれいにまとめてるのに、お前さんだけ2倍ぐらいの文字数で、黒歴史を語り倒してたやつだろう。あれは笑った」

「ひとの美しい思い出を、ネタとして昇華すんじゃねえや。…実は俺も、顔から火が出たけど。
まあ、それでさ。幾つかスターを頂いたりしたから、アクセス数を見てみたんですよ」

「伸びてたかい」

「聞いて驚けクソ大家。…なんと、普段の6倍になってた」

「誰がクソ大家だまったく。…とにかく、6倍とは驚いた。さすが公式の力だね。
…で、1日でいくらぐらいだったんだい」

「初日は60台前半。そのあと数日は、そのビッグウェーブが続いたらしい」

「…思ってたよりはるかに切ない話だったね。普段のことはもう聞かずにおこう」

「ま、こんな中身の薄いブログでそれだけ見てもらえりゃ御の字でしょう。
更新も大してしてねえしね」

「ならなおのこと、これを機に、ご挨拶のひとつも書いたらどうなんだい。
読者登録させて頂いた、して頂いた方もいるんだろう。有り難いことじゃないか」

「それがね。…忘れたんで」

「なにを」

「いままで、どんな感じで書いてたのかを忘れた」

「…ビビったんだな。
さっきからたまに、マナーモードみたいに震えてる理由がようやく分かったよ」

「…あいすいません。
っていうかね、どう考えても、フォロー頂いた人とレベルが違いすぎる」

「そりゃそうだろう。今後、鋭意努力したらいいじゃないか」

「いや、まじめに背伸びして書こうとすると、また熱いポエムになることに気がついたんで…。
ネット上に新しい黒歴史を刻むことに躊躇いを覚える」

「お前さんの人生は、ろくでもない思い出に満ちる運命なんだね。
…まあ、気負っても仕方がない。ぼちぼちやんなさい」

「へい。
…そのような訳にあいなりまして、どなたさまも宜しければ、気の向いたときにお立ち寄りくださいませ」

「いったい何者なんだお前は」

かもめは胸の中で羽ばたかない

 高校生の頃、演劇部に所属していた。近所だからと何となく決めた高校に合格した春休み。久しぶりに読んだ小説が「演劇」を扱ったものだったという、安易な理由で憧れて入部した。
 春の柔らかい日差しが差し込む教室。机を後ろに寄せて作ったスペースで、準備運動やエチュードをやっている先輩たちは楽しげで、格好良くて憧れた。
 そのなかで一番、動作が大きくて目立っていた人。
 校則違反のブレスをつけて、下手な冗談を言っては自分で笑っていた先輩に、恋をした。

 よくある話なのだけれど。先輩には好きな子がいた。
 自分の同期の一年生。色白で骨細で、最初は近づきがたくも思えるのに、とても気遣いがうまい。するっと人の懐に入って、忘れられなくなるような女の子。
 つたない話し方しかできない、人見知りで引っ込み思案の自分には、それがとても眩しかった。
 
 入部して分かったことなのだけれど、演劇に一番必要な能力は、戯曲を理解することではない。自分の身体を意図するままに動かせること、他人とセッションができるコミュニケーション能力。それがないと始まらない。
 春が過ぎ、若葉の頃になって。置いて行かれるのではと焦り始めたのは何月頃だっただろうか。

 休日も部活関係で潰れたり、自分でも演劇を観に行ったりもする傍ら、戯曲にはまって、「せりふの時代」という雑誌なども買うようになった。
 清水邦夫あたりから始まって、成井豊鴻上尚史も何冊か読んだところで、そもそも演劇にはまったきっかけの戯曲に出会った。
 チェーホフの「かもめ」。実際に読むのはそれが初めてだった。

* * *

 1895年作。ロシアの片田舎を舞台に、地元に住む人々と、避暑に来た女優とその息子、流行作家などの顔ぶれが描く人間模様をドライに写した作品。
  

そうらね、おっ母さんは僕が嫌いだ。あたり前さ! あの人は生きたい、恋がしたい、派手な着物が着たい。
ところがこの僕が、もう二十五にもなるもんだから、おっ母さんは厭(いや)でも、自分の年を思い出さざるを得ない。

チェーホフ神西清)『かもめ』新潮文庫、1973年、14頁)

完全に一オクターブ低いやつでね、「ブラボー、シルヴァ!」 それが君、専門の歌手じゃなくて、たかが教会の歌うたいなんですからね。

(同上、31頁)

 群像劇のようだけれど、主人公は女優の息子であるトレープレフ。派手好きの母を、複雑な思いを抱きながらも愛している。母であるアルカージナのほうも、息子を愛してはいるのだけれど、彼が書いた新進気鋭の戯曲を悪気なくひとまえで貶してみせたりと、想いが通じあっているとはいいがたい。
 
 後者は、アルカージナの兄の家の支配人であるシャムラーエフの台詞。舞台が好きで、知り合いでもない役者や歌手を馴れ馴れしく語り、自分の興味のある話しか話さない。

 チェーホフの偉大さはいまさら語るまでもないけれど。この戯曲の傑出しているところは、登場人物が一人残らず、愚かで自分勝手に描かれている所だと思う。それでいて、人間くさくて愛おしい。
 四幕の喜劇、と銘打っているけれど、コメディというにはあまりにも救いがなくて、写実的。それでも、滑稽で笑ってしまう。
 そして、チェーホフのなかでも、この戯曲に目立つ特徴。
 それは、登場人物の恋愛が多い、ということである。

 トレープレフは、その土地で暮らす女優志望の娘、ニーナに恋をしている。が、ニーナは都会にあこがれていて、流行作家であるトリゴーリンと都会に行くことを決意する。

* * *

 演劇部の活動にも慣れた頃、夏休みに学校で合宿があった。学校から何駅か離れたところにある公民館で、朝から晩まで練習。騒ぎながらお風呂に入って、夜中までお菓子を食べて喋っていた。
 三々五々、寝るなり語らうなりで散っていく中。
 人の寝静まった夜更け、食堂でゲームをしている先輩に、見ていていいですか、と聞いた。
 いいよ、と言われたので、すこし離れた場所に座って、画面を眺めていた。

 いくら言葉を知っても、そのときの自分には何を唇にのせることもできなくて。
 ただ黙って、譜面が流れていくのを見ていた。

 秋になって、別の合宿を校外でやることになったとき。一冊の冊子が全員に配られた。正確には台本ではない。色々な台本の場面を抜いて、滑舌や表現力の練習をする用だったと思う。
 その中に、「かもめ」の一節があった。

 トリゴーリンについて都会へ旅だったニーナは、女優業がうまくいかず、地方まわりで苦しい生活をしている。生まれた土地へ帰ってきたニーナに、トレープレフは「自分と生きて欲しい」と懇願する。そのときの台詞だ。

すっかり、へとへとだわ! 一息つきたいわ、一息!(首をあげて)
わたしは--かもめ。……いいえ、そうじゃない。わたしは--女優。そ、そうよ!

(同上、97頁)

 シェイクスピアの次くらいに、有名な台詞。前後の場面も抜粋されていた。
 ドラマチックで、感傷的。それでいて、真剣すぎてどこか滑稽だ、と思った。
 まるで、そのときの自分のようだった。
 
 文章を覚えて、喋った。舞台ではないので披露する機会はほとんど無かったけれど、それでも何かが昇華される気がした。
 自分の立場からいえば、トレープレフに恋をしていても相手にされないマーシャの役柄であるはずなのに。それは都合よく忘れていたのだろうか。

* * *
 
 秋。学校祭の準備をしているうちに、先輩と彼女は仲良くなったようだった。まるで少女漫画のようだけれど、本当の話だった。
 帰り道、たまたま一緒になったところで、好きな人がいるから付き合えない、と言いにくそうに言われた。
 
 告白してもいないのに振られる、という体験は、なかなかに恥ずかしく、しんどいもので。
 その後、かなり長くひきずることになる。
 演劇自体はそれでも好きで、翌年の夏まで続けていた。後輩が入ってきて、自分の適性のなさを思ってやめたのだけれど、今でもあのころのことは大切な思い出だ。

 それでも、「かもめ」はずっと長いこと、開くことがなく。
 捨てられもせず、本棚のなかで息を殺していた。
 新潮文庫版。昭和48年、10刷。手に取ると、頼りなく軽い。少し黄ばんだ白い色をしている。あの劇のなかで、撃ち落とされて剥製になった、白いかもめのように。

 いま、読み返してみて思う。
 こんなに、小さな世界の話だっただろうか。

 もし、トレープレフがニーナを追って、都会にでてきていたら。
 マーシャが結婚せず、トレープレフにちがうアプローチをしていたら。
 流れは変わっていたかもしれないのに。

 狭い場所で、きらきらと輝く、あのころの世界はもうない。
 その小ささを知ったいま、もう剥製のかもめが胸の中で飛ぶことはないけれど。

 切ないながらも、鮮烈だったあの頃を、この一冊で思い出した。

 
特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/pdmagazine


「小説や音楽は衰退したんじゃない。語る言葉が足りないだけだ」 …とか言ってみる。

こんばんは。

先日行った、MIKU EXPOの話を書こうと思っていたのですが、気になった話題があったので書いたら長くなりました。

★「最近の日本映画は面白くない」

www.sankei.com

この記事が話題を呼び、ホッテントリにも「旬の話題」として出ています。
ライトなもの、確実に集客できるものしか売らない。売れない。そういう風潮の話なのかなあ、と思っています。

この記事は、「日本映画」についてですが。他のジャンルにも、多かれ少なかれそういう傾向があるように思えたので。
以下、自分の(多少は)得意分野である「小説」「CGM」辺りの話に移ります。スミマセン。

★「ハードルを下げないと、読まれない」?

数年前の話。

小説を買いました。講談社のハードカバー。ジャンルは書いてない。訳あって特定は避けます。
帯にはポップな色文字で、「果たして○○は△△なのか?」みたいな感じの惹句が書いてある。
流し読みしたところ、かなりかっちりした、堅めの小説のようで。そのギャップに魅かれて購入しました。

読んで驚いたことに。
その本は、どうみてもミステリじゃなかったです。
まあ、五大文芸誌に載ってたからって純文学だと決めつけるのもあれですが、しかしこれがミステリ小説なら、マルケスもオースターもそれに入ると思う。

ただですね。帯はもう完全に、ミステリを予想させるんですよ。表も裏も。考え過ぎじゃないのって思われるかもしれないけど、どうみても純文のそれではなかった。
これはどういうことかというと。
「ハードルを下げた」んだと思います。

一人でも多くの人に読んで欲しい。そういう、編集者と、もしかしたら装丁の方の、想いがあっての売り方なんだと思います。
そういえば確かに、表紙は何か曖昧な感じでした。ジャンルの見分けがつかないような。カバーを外すと、凝った仕掛けがしてあって。愛情が感じられるんですよ。

日本の小説、ここまで来たか…と思ったことを、鮮明に覚えています。

(ただの思い過ごしだったら…すみません。)

* * *

本屋にはいつのまにか。イラストを表紙にした小説が、多く並ぶようになりました。
疑問なんですが、「イラスト」を好むひとというのは、アニメ・マンガに造詣の深い人だけではないのでしょうか。老若男女の好みが、実写や絵画でなくイラストに傾倒していっているとは思えないのですが。個人的には好きですけれども。

その方針により、売上が伸びているかは自分にわかりようもありませんが、あれも、「ハードルを下げる」ためのひとつの手段なのかなあ、と思ったりします。まあ、中身が面白ければどうでもいいんですけど。

★小説や音楽が「散逸していく」理由

映画でも、小説でも音楽でも。受け手のリテラシー(やモチベーション?)が、全体的に低下していることは否めない。
何が原因かというのは、そうそう分かることではないですが。
時代が進むにつれ、「受け方に連続性がなくなってきた」というのが、一因として挙げられたりするのではないかと思います。

* * *

◆ネットによる、コンテンツへのアクセスの簡便さ
  
古今の曲が、Youtubeで無料で聴ける。文豪の小説が、青空文庫で無料で読める。例えばアルバムや作品集ではなく、作品単位でバラバラで鑑賞できるわけで。例えば文学全集の解説とか、CDのライナーノーツというのはとても重要なものだと思うのですが、それは無かったりします。
文脈を勉強する機会が圧倒的にないともいえます。

◆娯楽コンテンツの多様化  

言っておいてなんですが、このへんは読んでる諸氏のほうが縦横無尽に楽しんでると思うので、割愛していいですか。各種SNS、配信サービス、ソシャゲ、ネット小説…適当に挙げましたが、とまれスマホタブレットが1台あればごろごろして1日終われるということです。(適当)
ニコ動を見てるとよく「スレマ」って出てくるんですがなんの呪文ですかね。

◆「ライトで手軽」を追及する風潮

何年も前、コンビニで初めて、「心が暗くなった時に効く名言集」みたいなタイトルの本を見かけたときは本当に衝撃でした。
自分のメンタルを支える言葉を人に求める。それをコンビニで買う。シュールだなあと思いますけども。まさにコンビニエンス。

* * *

全て、もう散々言い尽くされたことかもしれないですが。
上記のような状況にあって、ふだん本を読まない人が、「たまには真面目に本でも読んでみるか」というような気を起こしたとしても、とっかかりがないわけです。
で、知恵袋やら2chなんかで「オススメの本はないか」と聞いたりして、薦められたものを間欠的に読む。だから、脳内で、読んだものが連続していかない。散逸したままになって、じゃあ似たようなジャンルの作家を探してみようとか、そこまでのモチベーションが湧いてこない。のではないかと。

* * *

ちなみに「質」の話ですが。
「日本映画」の話にのっかっておいてアレなんですけれど、「小説」において、新しく刊行される作品の質が落ちている、かどうかは自分にはわかりかねます。

というか。最近の、年間の文庫の売上ランキング辺り、偏りすぎでは。東野圭吾佐伯泰英宮部みゆき、まあ当たり前っちゃ当たり前ですけれど、前からこんなに固まってたかな。日常的に本を読む人が、安牌思考になっているのでしょうか。

音楽のヒットチャートとかも、まあ。AKB関連、ジャニーズ関連、EXILE関連。あとは自分が10年前から知ってるようなメンバー。いや好きですけどね。歌もパフォーマンスもその他の活動も、本当にすごいなあと思ってはいますが、しかしこう、やっぱり面子が固定化された感はある。

ジャンルは違えど。もしかしたら、共通する部分はあるのじゃないかなと。
世間の耳目に触れる部分のマンネリ感というか。

ただですね。例えば音楽が好きな人、いわゆる「掘っている人」に言わせると、「面白いものはある。上に上がってこないだけ」という意見もよくあります。もちろん、ジャンルが違うので括るつもりではないんですが、人により場所によって、見えてる世界は違うんだろうなあと思うことはある。

★「データベース」を構成するということ

要するに、既存の作品を見たり聞いたりして、自分の中に「体系を作る」ということが、なおざりにされているのではないか…と思います。
よほど興味のある分野でなければ、たまたま見たくなったものにアクセスしておしまい。そこに文脈がない。

自分が興味をもったジャンルに関しては、古今の作品を見聞きすることで、舞台となった時代や国、流行の変遷、大きな影響力のあった人物、などが頭に入ってくるものだと思います。
「fun」な作品だけを求めつづけることもできますし、小説や音楽に興味がないというなら、それはそれで全然良いですし。当たり前ですが。
日々に疲れて、ライトで手軽な作品を求めるのも全然まったく間違いとかではないのですが。

ある程度、身体が(?)慣れてくると、バランスのいい食事を体が求めるように、「interesting」を自然と求めるようになる。それも何というか、「業」みたいなものであって、偉いとか凄いということではないとは思うんですが。マグロが回遊してないと死ぬような感じで、読まないと落ち着かないから読んでるだけです。
(自分の場合はあんまり堅い作品を読まないので、えらそうに言えた義理では全然ないですが)

「へー本が好きなんだーすごいねー」って言われたことある方は分かると思うんですが、そんな珍獣みたいに言われても嬉しくないですし、なんなら牛乳パックの裏の成分表まで読むようになりたいですか? 読んでる本が団鬼六でも、同じように言ってくれますか? っていうかせめて、「何読んでるの? 面白い?」とか、「ふだんどんなの読むの? オススメある?」とか聞いてくれたら答えやすいんですが。嘘です。話しかけてもらえただけでとても喜んでますので、構ってやってください。
 
閑話休題
そうやって、古今の作品に触れることで何が起きるかというと、「対象を文脈の中において見られる」ようになります。
歴史の流れの中で、どのような背景があって生まれた作品なのか。本であれば、ジャンル、時代、社会的背景、世界・人物観、構成、文体、…といった項目が、頭の中で比較されたり分類されるようになる。
格好つけて言うと、「作品について語る言葉を獲得する」ということかもしれません。

上から言う気ではなくて。むしろ、自分の「言葉」、蓄積は全然たいしたことないのですが。
ただ、審美眼とか眼が肥えてるとか(あ、同じ意味か)じゃなくて、頭のなかに構成されている、自分なりの価値観を伴ったデータベース、それがあるかっていうのは大きいと思います。 
それを作らないと、自分が何を見たいのか、他人がそれを見てどう評価しているか、何を考えているのかもわからない。
例えば、自分の好みの作品を見つけるために、探して見定めて購入して、頭のなかで感想や評価をまとめ、脳内データベースにインプットする能力。そういったスキルも、経験を蓄積していけば自然に身につくものですが、大事な力ではないかと思います。

★「世界に1つだけの花」とCGM

では。
ネットが普及し娯楽が増え、既存の作品への系統立ったアクセスが減った現在、音楽や小説はどこへ向かうかと言うと。
「一般の人が、創作をするようになる」という方向へ、向かっていくのではないでしょうか。

* * *

以前、「世界に1つだけの花」が流行った際(先日もランキングに上がっていましたが)、その歌詞の受け止め方は、大きく2つに別れたように思います。
「ナンバーワンでなくてもいい、オンリーワンになればいい。素敵な考え方だ」という人。「オンリーワンなんて綺麗ごとでしかない。花屋に並ばない花もある」という人。

さきほどまでの流れと矛盾するようですが、私はどちらかというと前者です。完璧でNO.1で胸を張っているものもいいですが、ちょっと形が崩れていても愉しそうなもの、纏まっていないけれどパワーのあるもの、独り言のようなものも、とても好きだったりします。
関係ないですが、自分が増田が好きなのも、同じ理由からじゃないかなと思います。種々雑多な言葉がとてもたのしい。

* * *

CGM、という言葉をご存知でしょうか。Consumer Generated Media、消費者生成メディアユーザがコンテンツを作っていくタイプのサイトのことで、口コミサイトやSNSもそうらしいですが、自分にとって「CGM」というと、まず真っ先にニコ動、というか「初音ミク」だったりします。

2011年末から12年始めにかけて、TVで「Google Chrome」のCMが放映されていたのを覚えている方は居られるでしょうか。
テーマ曲は「Tell Your World」。初音ミク、ひいては「ボカロ」文化の理念を歌った曲。PCの前で、ラジオを聴きながら、胸に迫るものがあり、涙ぐんだという人もいました。

ネットから生まれ、場合によっては笑われ疎まれて、一時の流行と言われ続けてきた場所が、ここまで認められたこと。
初期からジャンルの第一人者のひとりとして活動し続けてきた、kzさんの曲自体のもつ魅力。私は本当にこの曲が曲として好きなんですが、うまく言葉にならない。
あの感動に、様々に理由はつけられると思いますが、ひとつだけ言葉にするなら。その「教えてよ 君だけの世界」という言葉に、自分が今まで追いかけてきたものの正体が見えた気がしました。

* * *

「『ボカロ』のどこが好きなのか? 何が良いのか?」 不思議に思っている方も多いと思います。色々な推測もされます。

「キャラクターが可愛いから」? 確かに可愛いです。でも、可愛いキャラクターは他にも星の数ほどいる。
「機械の声が好きだから」? 確かに、ボーカルをソフトが歌っているというのはとても大きな魅力です。話せば長いですが、ソフトの種類、バージョンやライブラリ、使う人によっても全く声が違います。各ソフトの声質、曲での使い方も様々で、いわゆる「機械っぽい声」「愛すべきたどたどしさ」というのはその一部にすぎないような気もします。
「『バーチャルアイドル』で、中の人がいないから」? 確かに、MMDの始まり、ARやVRとのコラボなど、色々な場面で「バーチャルアイドル」を発揮していますが。「中の人が居ないから良い」という理由で、好きになろうとしてなった人は少数派かと。

「ボカロ」が生まれて続いている、一番の理由。
私はそれは、「『人』の面白さ」だと思います。

初音ミク」がブームとなってから。今までDTM(デスクトップミュージック。PCを使った作曲)を知らなかった人、触ったことがなかった人も、自分で作曲をして、動画を上げるという流れを共有するようになりました。絵をかける人がPVをつけて、歌える人が歌って、「踊ってみた」がまた、MMDのモーションになったり。
自分の好きなものを、好きなやり方で楽しむ人がいて。
それを「好きだ」「面白い」と感じる人がいて、そこからコメントが生まれ、また新しい創作が生まれる。

選ばれた人、実力と運を兼ね備えたスター。そういう人が、いままで自分が見聞きしてきたものを作ってきました。
でも、この「場所」では、誰でも自分の好きなことをしていい。どんな人でも、何かしらの作品を作れるし、それを好きだと感じる人がきっといる。
例えば、電車に乗っている人たちは、みんな似通って見えるけれど。多分、「あなたの世界」はそれぞれにちがう。それがいい。

★ボカロ、カクヨム、「語る言葉」

そんな「場所」は。色々な経緯を経て、今、だんだんと「閉じて」きている、と思います。
もちろん、ジャンル内部には、楽しんでいる人たちが沢山います。自分も楽しいです。それだけでいいんですが。

ニコ動自体の黎明期を過ぎて、ユーザが低年齢化してきた。「場」自体がマンネリ化してきた。それはあると思います。
でも、現場(…?)でやっていることはずっと変わらないです。曲を上げる人がいて、聴く人がいる。遊びがあって愛がある。
それでもなぜ、「最近のボカロはつまらない」と思われるのか。

それは、「拾い上げてくれる人がいないから」
じゃないかと、自分は思います。

「これは名曲」「もっと伸びるべき」なんて、動画でよく見る表現ですけれど。
書いている人の年齢、嗜好、なんて分からないわけです。具体的に褒めている人、曲ジャンルを書いている人だと、リテラシーを推し量ることができますが。
(ちなみに自分の耳ですが、ほぼほぼJ-POPで止まっています。ドラムンベースもファンクもボカロで知りました。)

個人の嗜好や都合にあうものを、やみくもにレコメンドしても、薦められる側にマッチングすることは少ないと思います。あまりに情報量が少ない。
テレビは流行を追いかける。ネットは自分からは何も語らない。
自分から考えて、ジャンルを追いかけて、理解していくしかない。多くの作品に触れて、語れるだけの言葉を持つしかない。経験したこと、自分の人生観、なんかもものの見方に入ってくる。何一つ無駄なものはない。
「Tell Your World」の世界を支えるためには、「Spread My World」がもっと必要なんじゃないでしょうか。
「Everyone, Creator」を実現するためには、「Everyone, Receiver」な精神が必要なのかもしれない。

見下げるとか権威付けするんじゃないです。ただ、作品の工夫を、背景を、あるがままに見たい。

背景や造詣があるもの、技巧を凝らしたものが理解されないなら、ライトで手軽ならなんでもいいなら、だれも技巧をこらそうとはしなくなる。

技巧を凝らしたものだけを称揚しているわけではありませんが。例えばひとくちに「素朴な味」といっても、演出されたもの、ピュアなのが天性で様になっているもの、たどたどしいのが愛らしいもの、など色々とあるはずで。
CGMを見てると、総合的にみて実力のあるもの、新味のあるもの、の拾い上げに失敗している面はたしかにあると思うんですね。
そして「なろう」のように、「ボカロ」のように、ランキング上位はマンネリ化していく。

* * *

そして。
「ボカロ」が陥りつつある状況をまさに、同じCGMとして、「カクヨム」が繰り返そうとしているわけです。

例えばランキングの偏りの問題、作品の公開停止の基準、そういったことも話題に上がっていますが。
要はやはり、「一定の客観的な評価」「ピックアップ」ができていないように見えます。
運営が一念発起して、そのへんうまいこと解決してくれる見込みはなさそうな気がしますが。その辺(まだ)詳しくないので控えます。

で、ユーザーさんが膨大な海の中から、お勧めの小説を紹介されていたりするわけです。
これ、すごく熱いことだと思うんです。そういう気概をもった人が今、「カクヨム」を支えているといっても過言ではないし、それはすごく意義のある格好良いことだと思う。

「カクヨム」が頑張ってくれたら、日本の小説は大きく変わる可能性もある…かもしれない。
例えば小説の賞があったとして、1000作品のうち選考を通った3作品だけが、読者に届くのが従来のシステム。
それが、拾い上げ次第では、1000作品がまるごと、ネット上で多くの人に見てもらえる。その中に、未来の大作家になる人がいるかもしれない。

いままで、小説をネットに投稿できる場所がいくらもあったことはもちろん承知しております。個人サイトでやったっていいわけですし。
ただ、「なろう」を見ると。いったん方向性が定まってしまうと、ひっくり返すのは難しいと思うんですよ。異世界転生ファンタジー(…間違ってたらすみません)なりの需要がこれほど大きいのであれば、なおさら。

なので、まだ単一のカラーに染まっていないカクヨム、楽しそうだなあ、と思っているわけです。

* * *

…なのですが。
既存のジャンル、作家を、もしや知らないのではないかと思われる熱狂的レビューをたまに、いやわりと見かけます。それも自分という個人の見方なので、色々と意見はあるとは思いますが。たとえば、文体が激賞されている作品を見に行くと、メフィスト…じゃなかった、いわゆる「ファウスト」系の文体だったりする。
分かったうえで絶賛してるんだったらいいんですけれど、「日本の文学に新しい風を巻き起こす作品」とか言われると、その、ちょっと、もやっとしないこともないような気もするわけです。おそらく、その方の読書傾向として西尾維新あたりは入っているんでしょうが、一歩進んで(?)舞城王太郎なり、佐藤友哉なりも読んだうえで、その作品を読んだほうが、たぶん客観的評価がしやすい。(すみません、ナマなこと言って。)

そこに、作者がいて読者がいて、感動があるんだから、それでいいんじゃない、って絶対言われると思うんですよ。
私もそう思う。
文章は人です。どんなつまらないように見えても、上から否定されるべきものじゃないです。それがそのひとの個性だから。ゆるがせにしていいものじゃない。
世の中に色々な人がいるように、色んな味があるから。拙くても厨二病でもなんでもいいんです。その多様性が愉しい。

ただ。その読者が、「いままで本を5冊しか読んだことがない」場合と、…そうだな。「500冊くらいは読んだことがある」場合だったら。
自分だったら、500冊読んだひとの薦める作品を優先的に読ませてもらいたいと思います。人生は有限なので。
そして、「純文学、ミステリ、SF、恋愛物、なんでも読む」と、「ラノベしか読んだことがない」だったら、前者の方のほうに、何を読みたいか相談したい。
わかると思いますが、ラノベを貶してる訳じゃないですよ。逢坂大河は私の嫁です。SAO1巻ほど練られたエンタメはそうそうないと思います。そうではなくて。
まぁ、はい。…小説は愉しいねってことですね。

★「データベースサイト」のある未来

で。じゃあ具体的にどうすればいいのよ、って話なんですけど。わかったら皆やってるとは思うんですが。

個人的な意見、というか、夢想としてはですね。
小説や音楽や映画の「データベースサイト」とか、あったらいいなあ、と思うんですよね。
 
レビューサイト、というものは今でもいっぱいあります。例えば本のレビューが読みたかったら、Amazonレビューや読書メーターを見る。Amazonなら「参考になった」が多いレビューが上位に上がっている。いいシステムだと思いますし、良い評価が多いレビュアーさんは、やはり見る目がある程度保証されていると思う。
ただし、レビューサイトの欠点は、「全体が見えない」ことです。自分から検索しないとたどり着かない。

話は変わりますが、国語の資料集ってあるじゃないですか。アレは実によくまとまった「読書の手引き」だと思うんですが、惜しむらくは、そもそも資料集を読み込んでる時点でわりと変態、おっとちがった相当の本好きだと思われるんですね。脳内データベースがまっさら状態の、手引が本当に必要なひとには届かない。
また、アナログかつ教材なので、アップデートが中々されないこと、いわゆる「純文学」中心であること、そもそも1冊なので情報量が圧倒的に足りないこと、も弱点ではあります。

なので、レビューと資料集が融合したサイトがあったらいいんじゃないかな、と思います。

文学史なりがまとめてあって、作家や作品名をクリックすると、Wikiっぽいものと、作品レビューが見られる。多く票を集めたレビューが上位に上がっている、みたいな。
「流れ」とか「カラー」を頭に入れた上で作品を読んだほうが、無駄がないと思うんですよね。新潮や岩波であれば巻末に、歯切れよい名文で解説が載っているとは思いますが、まず読む前に、全体を捉えることに意義がある。
出版社のブックフェアなんかも、バランスよく色々な面白そうなタイトルが紹介されていますが、バランスが良いだけに、細切れになりがちです。ぶっちゃけ量が足りない。

ジャンルの定義とか、歴史の仔細とか、人によって見方が違うだろう事柄については、議論する場を設けたい。これは、知恵袋とかでぽこぽこされている質問にバラバラの答えをしている人たちをみると、議論が深まってるようにはとても見えないので。対立するにしても、纏まっていたほうがやりやすいんじゃないかと。

「啓蒙」というよりは、単に「読書ガイド」みたいなものです。得意ジャンルはみんな違うし、みんな対等なわけです。当たり前ですが。
喉が渇いたときに、喫茶店があるように。何か読みたいな、というときに、ふらっと足を運んでくれればいい。

だから、紹介する側も、権威を後出しでまつりあげるのではなく、自分の言葉で、重みをもって語れることが大事なんだと思います。高名な作品ぐらい、本が好きだったら誰でも読んでいますが、自分の知識でそのすごさをちゃんと語るとなると、意外と難しいと思う。
でもって、古今の作品について、ぶっちぎりの愛を語ってほしい。その熱量が、「識っている側」から「識らない側」へきちんと届いたら、それはぜったい無駄にはならない、と思います。

そして。見るだけじゃなくて、本を好きになった人たちのいくらかが、作る側に回る。
インプットが多いほど、アウトプットは豊かになる。「小説の書き方」的な場所では言われ続けていることですが。

* * *

で、もし、なんですが。
「このサイトに載っている有名な小説はだいたい読んだ、概要も理解して自分なりの考え方も持った、最短でいっぱしの本好きになった」っていう人がいたとして。それは間違いです。
我々が苦労して育んできたリテラシーを、一瞬で獲得できるように見えるならそれはちがう。
それは長い長い道のりで、終わりはなくて、ただ背中を押して、走り出す手伝いができるだけなんだと思います。自転車の練習と一緒。

気が乗らなければ全然いいですし。気が向けば、また乗る機会もあるんじゃないでしょうか。本なんて出会いだし。啓蒙されて読むものでもないですし。

たまに見るんですけど。子供の頃に親や先生に「教育に良い」本を薦められて、本が嫌いになったよ、っていう人。
それも、紹介する側に、蓄積が足りてないんじゃないでしょうか。「坊っちゃん」じゃなくて、はやみねかおるの「夢水教授」とかにしておけばよかったのかもしれないですね。男の子なら、図鑑絵本とかも愉しいかもしれない。

プレゼントと同じです。高価でなくても、有名なブランドでなくてもいい。世間の評価よりも、自分が相手をみて、「これが好きだから、これなら気に入ってくれそうだな」ってものをもらったほうが嬉しい。それが、「好き」の気持ちを表してるみたいで嬉しくなるから。

* * *

で、さらに、流れが浸透していったとして。読むようになったひとがハンパに知識をつけたらどうなるかっていうと、半可通がしこたま生まれるわけです。
本来、個人で地道につけていくべき見識を、言ってみればちょっとズルして、背中を押してあげてるわけですから。
従来は、ある程度ふるいわけられていた「読む人、書く人、語る人」という枠がなくなり、小学生でも2ちゃんねるに書き込める時代になにが起きるかというと、もう考えただけで面白いですね。

ちなみにボカロは、もうその段階に入っている気がしなくもないです。「音圧」「ダブステ」「チップチューン」「EDM」あたりが、もう動画で見たくない単語ランキング10位以内に自分内でランクインしています。

まあそんなわけで、元々リテラシーのあるひとにとっては、さらに生き地獄の様相を呈すると思います。阿鼻叫喚。
そのときは、古参の方がザックリいっちゃっていい、と思います。

* * *

はてなの凄くいいところだと思うんですけど。エントリへのコメントが、人に紐付いてるじゃないですか。だから、あんまりばかみたいなコメントをできなくなる。

「含羞」って、すごく大事な感覚だと思うんですよ。「無知の知」というか。知らないとはずかしいな、ちゃんと喋るだけの知識がないから、ここは黙ってよう…って感覚。
自分より知見のある言葉が既に書いてあれば、そっとスターをつけるだけ。「そうなんだー知らなかった☆」とか言えない、言わないだけの矜持が、いちおうこんな自分にもあるわけで。
昔は「ggrks」だの「3年ROMってろ」なんて言葉もありました。そういう怖い言葉が好きでもないですが、言いたいことはよくわかります。

「見栄を張る」という風潮、背伸びが人間を成長させる…面もあると思います。それが、はてなのクオリティの源なんじゃないかと。新参なのでよくわからないですが。
なのでまあ、多少はギスギスしててもいいんじゃないですか。
もっと悟ってしまうと、「識っている事自体に含羞を覚える」ようになるのかもしれませんが。そんな人ばかりだと、穏やかすぎて世の中、楽しくないので。

関係ないといえば、ないのですが。
他人の文章とか、挙げたラインナップとか、頭っから否定するのはとても簡単です。「何、これ」とか「イミワカンナイ」って言えば、簡単に他人を斬れます。
でもそれって、すごく卑怯未練じゃないですか。じゃあ自分の審美眼を、文章を、作品を見せてみろ、と言いたい。
何かを語っているほうが、生み出している方が。頑張っているぶんだけ、ちょっとだけエライ。と、わたしは思います。
ですね。…はい。それだけです。

* * *

…忘れてた。なので、CGMの方のピックアップは本当に難しいと思うんですよ。ジャンルも知名度も実力もバラバラで、それ自体を愉しい、とみんなが思っているから集まってくるわけで。商品でもないものを、「評価」するのは特にむずかしい。

なので、そういうポータルがもしあるとしたら。少なくとも最初は、「拾い上げる人」の見る目に頼るしかない。そして、カクヨムでも言われていますが、その「拾い上げる人」の方も、「参考になった」とかで評価される制度があったらいいと思うんですよね。
でもって、ピッカーの方も、自己紹介欄とかが公開できたらいいなと。そうすると、自分と好みが同じ人を探して、そこから広げていったりすることができる。

難しいけど、できないことではないと思います。たとえば小説の賞に「下読み」というひとたちが存在するということは、新しく生まれ続ける小説に「一定の客観的な評価」ができる、ということでもある。それを楽しませてもらうだけで、絞り込まないのがCGMですが。


まあ、楽しく読めればそれでいいんですけど。
この先も、何年たっても、いま好きなものと楽しく付き合うために。何をしたらいいかな。何ができるかな、と思ったりします。

★「小説は衰退しました」か?

小説は、音楽は、衰退してるんじゃない。 
ただ、語れる言葉が、受け手の蓄積が、圧倒的に足りない、のではないでしょうか。
深く知る中から、また新しく作る側が現れる。
そうやって、時代に合わせて、進化していくのだと思います。

昔からあるものを浴びるように触れ、新しいものを貪欲に取り込む。
受け取るだけでなく、作ることもできる。
このネット時代には、古い作品も新しいそれも、簡単にアクセスできる環境がある。

上澄みをすくって、浅いところを楽しむだけじゃなく。深層を掘るだけでもなく。
ジャンルが縦横無尽に蕩尽されて、また生み出されたらいい、と思います。

人の、作品の、ありのままの姿を認め合えるような、そんな世界になったらいいな、
とか思いました。


本日は以上です。

熊本の地震の件ですが、FamiポートやLoppiからも募金できるようです

 昨夜からずっと、ニュースがつけっぱなしです。

 熊本で震度7地震があったとのことで。家屋が倒壊して人が下敷きになっている、あちこちで火事が起きているとの情報も入っています。ネットでみたのですが、九州地方大地震、と呼ばれることになるのでしょうか。

 既に、色々なところに情報が纏まりつつあると思いますし。
 被害にあった、いや今もあいつつある方に関して、自分が語れる言葉はないです。
 ただ、1つだけ。


 寄付・ボランティア情報ですが、こちらに更新されていくようです。
 
volunteer-platform.org

 募金について、カード番号等を入力して支払うやり方だと少し敷居が高いですが、コンビニ端末(FamiポートやLoppi)からも支払えるようです。レシートを発行して、レジで精算。これはお勧めです。

www.jrc.or.jp


 人を救うのは、言葉ではないこともある。
 少しでも、今後の助けになれば。と思います。

高座で喋り倒す人たちが渋谷に春を呼んだ…のか。

 こんばんは。
 日曜に落語会に行ってきたので、忘れないうちにその話をしたいなーと思います。

 またカテゴリを増やしてしまったわけですが。小説とボカロと落語が好きで仕事の話はまったくしない社会人…どうなんですかね。キャラがぶれすぎですか。
 とりあえず、もうちょっと頻繁に更新して、興味のあるところだけ拾って貰えたらなーと思っております。フォローリムーブお気軽にどうぞ。(ってブログでも言うのかなぁ…)



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 本日の渋谷、昼の気温は16度くらい。ハチ公前の桜がきれいでした。
 東急東横店の前で工事していました。なんだろう。

 行くのはこれです。
shibuyanifukukitaru-special.com
 
 「毎日新聞落語会・渋谷に福来たるSPECIAL」。
 これ、2012年から毎年、春になるとやっているんですが。「~落語フェスティバル的な~」とかいうゆるい名目で、いくつかのテーマを設けてそれぞれに人気の噺家さんを招いてぱーっとやる、人気イベントなんです。(…あくまでジャンル内比なので、フジロックとかと比べないようにw)
 行くのは今年が3回目でしょうか。

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 セルリアンタワーの向かい辺りが、本日の会場。
 「渋谷区文化総合センター大和田」。名前の座りが悪くて覚えづらい。ついでにエントランスが長いw
 (これは帰り際に撮った写真なので、センター本体は見えてません)

 本日の登場人物、もとい噺家さんは以下の方。(順不同)
 
www.youtube.com

 柳家喬太郎(やなぎやきょうたろう)師匠。ニコニコしながら、毒のあるマシンガントークを繰り出してくるテンポが堪りません。もはや、高座にあがるだけで観客が笑うレベルに達している人気落語家。
 古典のほうを貼ったのは、震災のすぐ後、初めて聞いた落語がこれだったので。アレでハマったんですよねえ…その話はまたいずれ。

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 三遊亭白鳥(さんゆうていはくちょう)師匠。演られているのは新作がメイン。ずっと年上の方にこんなこと言ってはなんですが、パーティピーボーっぽいイメージがあります。すごく分かりやすい方というか、腹の中に何もなさそう。嘘がすぐバレそう。
 なんて言いながら、寄席での三題噺で勇名を轟かせてたり。新作演っている方はやっぱり、回転の速さが並じゃないですね。

www.youtube.com

 林家彦いち(はやしやひこいち)師匠。見た目、いかにもガチガチの古典派の方で皮肉っぽかったりするのかなーと勝手に思っていたんですが、むしろ良心、バランサーっぽいですね。このメンバーだと余計に、堅実感が際立つというか。(…)
 一応いまwikiったんですが、学生時代は不良だったって本当ですか!? 気になる…めっちゃ気になる。

www.youtube.com

 三遊亭粋歌(さんゆうていすいか)さん。三味線のお師匠様みたいな、柔らかい感じの方ですが、ネットで調べたら以前は長く会社勤めされていたらしいです。現在は二ツ目。受け売りで経歴を書くのも何なので詳しくはGoogle先生へ。
 …この動画、お二人ともすごくいい笑顔ですね。こういう方が無条件に好きですわたしは。


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 演目の写真を最初に貼っちゃうのどうなんですかね…いや、分かりやすいかと思って…。
 客層は、やはり新作というのもあってか、若い人も多く見受けられました。


★鼎談★

 めくりにはしっかりと「おしゃべり」って書いてありました。ゆるい。…他のグループでもこうだったのか、このメンバーだからそうなったのかが気になる。(昨年まではどうだったかは鳥頭なので覚えていません)
  
 「どうも、(何て言ってたか忘れた)」
 「…落語界のショーン・K、三遊亭白鳥です☆」
 (二人でじっと彦いち師匠を見つめる)
 「……久米宏です」

 そんな感じで始めてました。
 喬太郎師匠が紋付袴(かな?)、白鳥師匠がいつものジャージみたいな青いお着物、彦いち師匠は灰桜色というんでしょうか、きれいな淡い色の着物でした。これがあとで悲劇になるんですけど。

 話の中身…何だったかなあ。彦いち師匠がタクシーに乗って、「アイーダ」の出演者と間違えられた話くらいしか覚えてないですね。…彫りが深い顔立ちが仇になった的な? 白鳥師匠のお弁当の異臭騒ぎとか。
 あと、白鳥師匠が新潟の落語会に行った話。笑点に出ている噺家さんが2人と、白鳥師匠という組み合わせ。新潟出身で、地元の有名人ということもあってか(多分)呼ばれたにも関わらず、「来週から笑点に出演します、三遊亭白鳥です!」とやったところ、大きな拍手をもらってしまった由。しかたないので「エイプリルフールです」とごまかした、とか。

 最後、めくりを喬太郎師匠がめくって、座布団も裏返して、出て行きました。ハケる寸前に「おつかれさまですッ!」って上手に向かって叫んでました。客席大爆笑。
 べつに前座さんがいなかった訳じゃなく、次からは普通に前座さんがやってましたので、ファンサ的なアレだったのではないでしょうか。ありがとうございます…。さすが…。

 以下、貼ってあった演目の書き方で記載します。


★すぶや 粋歌★

 田舎の高校生の男女。東京の大学に受かったら、あれもこれもしよう…と夢見る彼女に対し、あれこれと引きとめようとする彼氏。掛け合いがかわいい。東京で派手になって帰ってきた近所のお姉ちゃんを、「狐付き」って言ってたの笑いました。
 「東京ではな…『すぶや』とは言わねえんだよ。言ってみな、『しー、ぶー、や』」
 「わかっだあ。こうだな、『すー、ぶー、や』」
 「…俺、アヤちゃんのそういうとこ好きだよ」
 「ありがとねえ」
 かーわーいーい。癒されました。オチはほっこりじゃないんですけど。EXILE TRIBEでしたけど。

 しっかし、よくもこう、渋谷で4月にやるのにぴったりの噺があったもんですね? もしやネタおろしなのかと思ったけど、そうではないようですが。びっくりした。

 
★新婚妄想曲 白鳥★

 久しぶりに開かれた、高校の同窓会。故郷に帰ってきたかつてのマドンナ。聞けば、東京で結婚はしておらず、しかも何の仕事をしていたのかは話さない。目立たなかった柔道部の男性に告白した彼女の心中は? そして結婚の行方は?
 起承転結の「転」がすごいんですよ。アホらしいけど腹落ちっぷりがすごい。ワーッ!てなりましたもん。客席が。
 あと居酒屋のおかみさんの「秘密」に笑った。しれっと畳み掛けてくるのほんと反則です。

 ただね。あのね、いっこだけ言いたいんですが、「タッチ」を読んだことのない人間もいるんですよ!ここに!
 もちろん、白鳥師匠に限ったことじゃないんですが。全体的にね、中高年向けなんですよ。ネタが。往年の美人女優の名前とか出されても「アッハイ」って感じですね。もう慣れましたけども。


 ここで仲入り。音楽練習室のほうの小さなお手洗いに行ってしまいましたが、ホールの方にちゃんと大きいお手洗いがありました。間違えてた。


★落語の大学 喬太郎

 この日のなかで一番笑った噺でしたけども。…中身が濃すぎて、書くのが面倒になってきています…。

 枕は、渋谷の街というか、駅について。何でも乗り入れればいいってもんじゃないんですよ!渋谷は最終目標としてどっしり構えているべき!みたいな力説されていました。路線名とか、詳細は覚えてません。
 もうね、やたら細かいんですよ。拾ってくるところが。「池袋の先の北池袋のようにですね、うっかりすると見過ごされてしまう駅、盲腸みたいな駅こそが至高なんです!」とか。「横浜駅桜木町駅の間で肩をすぼめてひっそり座っている高島町のモノマネ」をする噺家は日本で喬太郎師匠しかいないと思います。
 コロッケそばとかもそうですけど、変なところに哀愁を見出してしまう。肩肘張ったモノよりも、猥雑でしょぼいくらいが好きっぽい。そういうところが、喬太郎師の人気の一因かもしれないなぁなんて思ったりします。
 
 噺の方は。大学受験に失敗した男子高校生が、二浪したあげくかなり入りやすい大学に入ったという先輩を頼って、同じ大学に入学。入ったそこは「落語大学」で、「幇間(たいこもち)学部」「与太郎学部」「廓(くるわ)学部」など、奇天烈な名前が並んでいた。
 先輩と講義を受けるも、興味のない落語史に寝そうになると、先生が「アンタ、起きておくれよォ」と来る。これはもちろん「芝浜」ですが、知らないひとから見たら、ただの変な人ですね。学食では「ちりとてちん」(「酢豆腐」の方ですかね?浅学で分からない)、「青菜」ネタが出てきたりします。
 落語史は少し喋っただけですが、面白そうだなと思いました。昔の古典を掘り出してきて演られていたりとか、勉強家な一面も良いなあと思います。客席を沸かせる方に傾注しているから、あんまり普段は見えないですが。

 一応、枕の最後に「古典落語を全く観たことがない人!」ってアンケートとってて、2人手を挙げたと言ってました。729席の…大入り満員じゃなくて若干空席があったので700人弱くらいですかね。やっぱりけっこう普段から落語を聴くクラスタが来てたということでしょうか。普段からアンケートしてる訳じゃないのでなんともですが。


★神々の唄 彦いち★
 
 彦いち師匠が出てきて、座布団をためつすがめつしているところでまず笑いました。座布団の色がね、まったく一緒なんですよ。師匠の着物と。
 色かぶりはたまにあるんですが。用意した方も、春らしい色ということで選んだんでしょうね。誰も悪くないですw
 ちなみにここで気づいたんですが、ライトの色が最初とちょっと変わってました? 上下で2色になってたような。そういえば主催は毎日ですが、Zeppという名前をチケットで見たので、照明にでも凝るのかなぁと思っていたことを思い出しました。
 
 枕でしょっぱなから、白鳥師匠を弄られてましたね。白鳥師匠の地元(新潟の…高田だったと思う)に行った際、家にご挨拶に伺おうと思ったら、「山を超えて向こうだ」と言われたという。で、打ち上げのときに「家遠いんですかね?」って同窓生の方に聞いたら、「この店の向かい!」って言われたとかなんとか。笑った。
 あと、外国人の真似をして、みどりの窓口の担当者をだまくらかそうとした話。まぁ口から先に生まれた生え抜きのエリート相手ですから本気では取らないですが、それ高座で暴露して大丈夫なやつです?w

 噺はですね。それこそ口から先に生まれたような男がいて、ついつい見栄をはって嘘をついてしまう悪癖がある。八幡様のお祭りに、スーザン・ボイルを呼べるとほらをふいてしまい、奥さんに、「お前がスーザンになってくれ!」と頼みこむ。
 祭礼当日、妻がスーザンに扮していることは一発でバレるが、歌が上手かったこともあって意外に好評を博し…。というもの。
 こういう「身代わり」の噺は割とあって、古典だと「花筏」とか「動物園」とか。この噺は、身代わり自体は早々にあっさりバレてしまうところが面白いですね。


 という流れで、終演となりました。
 本日はどの方もリラックスされていて、絶好調と言って良かったんじゃないでしょうか。新作クラスタ同士の気安く楽しい感じが良かったです。
 きちんと「渋谷」「春」「めでたい」というテーマを意識した噺をされているところもよかった。

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 マークシティの桜。帰りに寄ったんですが服とかはちらっと見ただけで、彷徨ったあげくコールド・ストーンでベリーアイスを食べ、そのあとなか卯で鶏塩うどん膳(…? 既に記憶があいまい…)を食べて帰ってきました。ベリーアイスはベリーが潰してあるの美味しかった。うどんは正直、つるもち讃岐っぽいほうが好きですが、スープ(?)がおいしかったし鶏が柔らかくて良かったです。


 今回は新作オンリーの会を堪能してきたわけですが、実はとくに新作のみのファンという訳でもなく。わりと「昔から続いてきた価値観、歴史」とかも大事にしたいタイプです。古いものというのは、残るだけの理由が、重みがあったから残ってきたものだと思っています。
 かるーい感じで喋り倒してしまいましたが、それこそ「酢豆腐」なんて言われないように、ほどほどにしたいですね。

 本日は以上です。